匂いのある暮らし

人は誰でも、弱点を持っているものです。
私の場合は、呼吸器なのですが。

アレルギー性鼻炎には、子供のころから悩まされていて、
今思えば、名医に会えていれば、早期完治もした気がしますが、
医療の進歩、育った環境もありますから仕方ないですね。
それのバリエーションで、花粉症も重症ですし、咳ぜんそくの
流行りはじめのころに、「咳、止まらないなー」で放置していたら、
そのまま、喘息になってしまい、やっと病院に行った途端、
強制入院になったという経緯があります。

喘息で入院したのは、二週間程度でしたが、最初の一週間は
毎日、ステロイド注射を打たれました。
酸素も、もちろんもらっていて、体がどんどん楽になりました。

退院してから驚いたのは、秋の花粉症がなかったことです。
「ステロイドか!」
あるとき、気づきました。

その後も、ちょっと弱ると、呼吸器に異常が出まして、
一年の大半、匂いがわからないことが多いのです。

耳鼻科に相談すると、ステロイド投入で一時的に復活しますが、
やめると、わからなくなります。
で、だんだんうんざりしてきまして、
「今年の花粉は、薬なし!」って無茶をしたら、
喘息の小発作が起こり、先日の点滴となったわけですが。

で、喘息の先生の処方で、花粉対策の薬もいただいて、
また、ステロイドも飲んでいます。
すると、ウソのように体が楽です。
花粉で寝込むということがありません。

そして、予期せぬ幸せで、匂いがわかるようになってきました。

人間って面白いのですよ。一年の大半、匂いのない暮らしを
していると、匂いの名前を忘れるのです。
また、匂いを思い出そうにも、記憶には残っていないものです。

昨日で処方されたステロイドが終わったので、いつまで嗅覚があるか
わかりませんが、楽しめるうちに楽しんでおこうと思っています。
でも、わかるといっても、健康体のときに比べ、3割程度なんですけどね。
その3割も、「いい匂い」は集中しないとわからなくて、
自然にわかるのは、「くさい」とか、そっちなんですよ。
やっと、先日いただいたアロマエッセンスの香りをかげて、幸せです。
やはり、五感は、危険を察知するために発達したのでしょう。

匂いがわかるって、ホント、幸せなことです。
でも、これ、失わないと、わからないんですよねえ。

ステロイドや手術なしで、香りがわかる方法、ないんでしょうかねー?
機能はまだ残っているわけだから、なにか方法がありそうですが、
まあ、持病なので、気長につきあっていきます。

そうそう、花粉レスキューバン、笑っちゃうんですよ。
アレ、本当に鼻水は止まります。
しかし、その代わりに、1時間痰が出続けました。
そこで、私も気づきまして。

そうか、花粉が異分子だから、私の体は排出しようとしているのだと。
あふれるような鼻水は、体がバカになっちゃっているかではなくて、
ある意味正しい反応かもしれないのです。

面白いのは、この話をヘアメイクしながらしていたら、
髪の毛担当の子は、花粉症でつらい思いをしているから、
「へー」って真剣なんですね。
というか、彼女が花粉症だから、この話になったんですが。
メイクの子は、花粉は平気。だから、こんなことを言いました。
「痰なら、いいじゃないですか」

ねえ、それ、ちゃんと考えて言っている?
「痰だと、咳で出すしかないんですよ? 一時間せき込むってことだよ?」
「あ、そうですね」

たった、それだけのやりとりですけれど、メイクの子の無神経さに
呆れました。
同時に、こんな意識の子と仕事しないといけないヘア担当の子を
気の毒に思いました。
カチンとくること、たくさんあるはずです。

花粉症って、本当にくだらない病気で、ならないとつらさがわからないのです。
だから、患者同士の共鳴はすごいですよ。
私は今、勝手に人助けのターンですから、自分が持っている情報もサンプルとして
使えるものも、花粉症さんに出会えば渡しますし。
それが効けば、口コミで広がっていくでしょう?
パーティーのひとりぼっちのつらさと同じで、
花粉症のつらさなんて、本来感じなくてもいいものですから。

反面、無神経な発言をされると、ものすごく根に持ちます。
それまで良好な人間関係を築いていても、一気に崩壊します。
「痰ならいいじゃないですか」は、下の下ですが、
似たような無神経発言は、たくさんあります。本当に呆れるほど。

あ、あと、アレもイヤだなー。
「私は治ったんです。治し方、今度お教えします」

これまで、3、4人いたでしょうか?
こういうこという人は、まったく信用できません。
治し方を知っているなら、なぜ、出し惜しみするのでしょう?
ビジネスにしたいから?
それとも、恩を着せたいから?
最大限に、感謝されたいから?
もったいぶる人、私は大嫌いです。
そういえば、誰も、「今度教えて」くれませんでしたねー。
それ、山師の生き方ですよね。

自分が完治までに何十万かけたとしても、ご縁あって、
知り合った人には、公開すればいいんじゃないかと思うんですよね。
そこで、他の花粉症患者から少しでも回収しようなんて、
いやらしいなあと。
人の苦しみを飯のタネにしようとするのは、自分の苦しさを
忘れている証拠です。
その人の花粉症は治ったかもしれませんが、きっと違う苦しみが
乗ってくるでしょう。だって、花粉症から何も学んでないんだもん。
人生って、そういうものですよね。

花粉症ひとつで、だいぶ、いろいろなことがわかります。

今の私は、花粉が飛ばない季節に比べ、非生産的で、
ひがみやすく、傷つきやすく、恨みがましく、
あんまりいいことないのですが、でも、それも、自分だと
思っています。
無神経発言をする人は、どんどん格下げして、今後のつきあいの
指針にします。
たぶん、今、会いたくない、話したくないって人に対しては、
本当は普段から、違和感を持っているはずなんですよ。
自分が健康なときは、我慢が出来るだけで。
普段から「え?」は、あるはずなんですよね。
だって、それがなければ、悪く取らないでしょう?
カチンと来る前に、「あの人は、そんなつもりでは言ってないはず」って
修正が効くでしょう。
修正機能が働かないのは、おそらく、苦手なんですよね。もともと。

そういえば、編プロの社長さんがこんなことも言ってました。
「悪気がないって、それだけで、悪いんですよ」
うん、そうかも。

まあ、かくいう私も、末期がんのお友達を怒らせてしまい、
そのまま、二度と会えない関係になったりしました。
万事、お互いさま。
自分の身にならないと、わからない。

いろいろあっても、残るかどうかは、ご縁だし、相性だし、
お互いの歩み寄りだし。
なんというか、あんまり考えなくてもいいのかもしれませんね。
ただ、感じるまま、心に正直に。
自分が自分の味方であれば、それだけで、いいような気もします。

 

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