気構えについて

昨日、恵比寿にあるパワーストーンバーを再訪しました。
人との待ち合わせで、最初はストロベリーストーンというカクテルを一人で飲みました。

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無事、合流し、、今度は裏メニューだというアクアマリンをいただきました。

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今回は、カメラマンさんは不在だったので、章月撮影です。
素人の撮影ですが、背景にあるパワーストーンの意味わかんなさ、
伝わります?

3週間ぶりの再訪でしたが、やっぱりいろいろな意味で「すごい」と
感じる場所でした。

ある友人が私の話から、「へえ、明日、行けたら行きます」みたいなことを
言うので、慌てて止めました。
お店ですから、行きたければ行けば入れますが、
なんというか、何かのついでに立ち寄るような場所じゃないんですよね。
ちゃんと「あそこに行こう」と心定めて寄るといいというか。
時間のスキマでのぞいて見えるものと、ちゃんと時間を作って見えて
くるものは、違ってきます。
「わー、すごい石があるね!」は同じかもしれませんが、
「すごい石があったよ」で終わったら、もったいないというか。

格について、私はよく考えるのですが、それを意識するかしないかで、
楽しさが変わると思うのです。
たとえば、一流ホテルのバーは、静けさも味のうちだと思うのです。
会話をしていても、静かというか。
でも、たまに、何も考えない人がいます。
バーの人は、何も言いません。
他のお客様も、何も言いません。
何も考えない人が連れの場合、私も言うかどうか、半々です。
親しい人なら、「もうちょっと声を落とそうか」とたしなめますが、
目上の方、知り合ったばかりの方だと、そうもいきません。
厳しいですね。

文豪たちに愛されたバーに初めてうかがい、バーテンダーさんに
「こちらは、ずっと憧れていて。でも、うかがうのが怖かったです」と
打ち明けたら、
「ここでお酒を出す側に回るのも、怖かったですよ」と
お話ししてくださって、なるほど!と思いました。

有名バーは、求められるものも多いでしょう。
憧れも、ある意味、値踏みです。
どこまで噂通りなのか、どんなに素敵なのか、素晴らしいのか。

このやりとりのおかげで、格式の高い場所も、自分にはちょっと
立派すぎる場所も、前ほど怖くはなくなりました。

つらつら考えると、格式というのは、気構えから生まれるのでしょう。
最高の場所になろうとしないと、格は生まれません。
そして、それを保ち続ける意識がないと、すぐに消えてしまいます。

あるとき、お育ちがいいと感じる人に共通するのは、求めすぎないことだと気付きました。
引き際が鮮やかで、「え、それだけでいいの?」と若いころはよく思いました。
やがて、出したお金のモトを取ろう、それ以上のものをもらおうとするのは、貧しく、浅ましく、
そうやってガツガツしている間は、本当に欲しいものは手に入らないとわかってきました。
「え、それだけでいいの?」と驚く私が気付かないところで、彼らはもっと豊かで、
多くのものをもらって帰っていって。

そんなに、ガツガツしなくていいんだと思えるようになったのは、ここ数年かもしれません。
人生は、自分が思っているよりも長いと気付いたのです。
一度にすべてを手に入れよう、一度で理解しよう、一度で気に入られよう、好かれよう、
そんな風に考えていると、たいてい取りこぼします。
周りも疲れてしまいますよね。
「あの人と会うと、なんだかエネルギーが吸い取られる気がする」
だって、一方的に吸い取っているのですもの。
本当はあげたくないものも、奪われているかもしれません。

そんなことを続けていたら、「あの人に会うと疲れる」
「会うの、気が重いな」
「行きたくない、体の調子も悪くなってきた。ごめん、行けない」みたいに、
どんどん離れてしまうでしょう。
逆に考えれば、また会いたくなる人というのは、自分に何かをくれる人かもしれません。
もちろん、物ではなく。
前向きになれるパワーとか、心やすらぐ優しさとか。なんでもいいのですが。

そういうのも、人の格かなと思ったりします。
格を作るためには、気構えは大事で。まだまだ、修行中、勉強中です。

まあ、もろもろ、つらつらと。
きょうも、いいお天気です。みなさまも、楽しい週末をお過ごしください。

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