「シレンシオ」

池袋プレイハウスに行ってきました。

しかし、未だにこの呼び方に慣れません。東京芸術劇場中ホールのままでは、
なぜいけなかったのでしょう?
イチイチ、頭の中で変換しなければなりません。

まあ、ル・テアトルも、セゾン劇場のイメージが強すぎて。
置き換えがきかなくなるのは、頭が固い証拠、あるいは、老化でしょうか?

小野寺修二さんと首藤康之さんの「空白に落ちた男」は、すごく好きでした。
ベニサンピットも、パルコも、リピートしたし、サントラも買いました。

ですから、期待して行ったのですが。

今回は、原田知世さんの透明感しか残りません。
ものすごい存在感ですよ!!!

特に、ラストの首藤さんと2人きりのシーン、あれは、美しいですね。
すぐそこにいるのですけれど、映像を見ているような遠さがあって、
静止から静止へ動く時間が、ちょっと忘れがたい余韻を残します。

成熟した女性なのですが、でも、少女っぽいし、
いろいろ知り尽くしているように見えて、未完成な印象を残して……。

存在が異次元というか。
絶妙なバランスで、そこにいるというか。

そりゃ、時をかける少女だし、ブレンディだし……って、もう意味がわからないことを
考え続けてみていました。

首藤さんと原田さん、ジャンルが違うのですが、美しさのテイストが似ているというか、
パワーが均衡というか、簡単に言えば、とにかく、非常に絵になるのです。
ただ、ジャンルが違うから、あのシーン以上に絡むのは、ちょっと違う気もして。

今回、席が前過ぎたせいか、前の人の頭が邪魔で上手側はつぶれて見えなくて、
演出が細か過ぎて、横に広い間口で、誰が何をやっているのか追い切れなくて、
正直に打ち明ければ、ストーリーからは脱落しています。
あるいは、私が見とれているせいかもしれません。原田知世さんの透明感に、
首藤さんの凝縮に。
小野寺さんのステージは、出演者すべてにキーを持たせるため、ちょっと見逃すと
わからなくなるのも無理はないと思いました。
「空白に落ちた男」のときに、芝居をたくさん見ている知人が酷評していたわけが
やっとわかりました。
拡散されちゃって、演出の狙い通りに見ていない人には、意味がわからなくなるんですよ。
で、今回、「首藤さんを見たい」、「原田さんも見たい」とポイントが2つ出来ちゃうと、
あっけなく、全体の流れから振り落とされます。他見ている余裕なくなりますから。
これ、どっちか一人だけなら、目が追いつくのでしょうね。
あるいは、舞台が全部見えていれば! 見えないからね、右半分!
プレイハウス(覚えたらしい)の前方席、座高が高い人が前に来ると、ダメかもしれません。

この前、三谷&野田さんのナポレオンで前方席をつぶしていたのは、コレもあるからかもしれないと
ちょっと思い出すほどでした。段差のない座席は、地獄ですよね。

ともあれ、原田知世さんは、際立つ美しさでした。
45歳で、あの存在感、クオリティ、意味がわかりません。
デビュー当時の透明感は、どれほどだったのでしょう?
もうあちら側が透けて見えちゃうくらいだったのではないかと。

45歳で、色がついていないんですよ。どんな生き方をすれば、そこまで原田知世でいられるのでしょう?
原田知世さんは、原田知世というアイコンなのだと、しみじみ、思い知りました。
ちょっと、異次元で意味がわかりません。

いや、すごい人がいるものです。プライベートが想像つかないし、私は何も知りたくないです。
このまま、ずっと、神秘のヴェールの向こうにいらしてください。

キレイなキレイなシーンでした。そのくせ、こうも思うわけ。
首藤さんは、もっともっと踊ってねって(笑)。

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