「生誕250周年 谷文晁」展 スライドレクチャー

2日続けて、サントリー美術館に伺いました。

谷文晁とは、なんぞや?

これが、目下のテーマでございます。まあ、知ったからって、
何になるわけじゃないんですけれどね。

谷文晁占いとか、やりますかね?
ものすごーく、いろいろなタイプの絵を描いている方なので、
やろうと思えば占いに出来そうな……。
あなたは、水墨画タイプ。あなたは、仏画タイプ。
わはは、ちょっと考えてみました。
いや、コレ、需要があれば、私、余裕で作れますよ。
チャートで、タイプわけ致しましょうか?
占いよりも、心理テストのほうが向いていますね。
美術館からオーダー来たら、すぐにやるのに!

一昨日、年パスを買ったお話は致しましたが、サントリー美術館の
メンバーズカード、意味わからないくらいサービス満載です。
だって、希望すれば、半券くれるというのですよ。
半券持っていけば、普通の入場者のように、ミッドタウン内の
様々な割引サービスが受けられます。すっごいなー!!!
それに、よその美術館でも割引になったりします。
業界で力を持っていますね、サントリー美術館ってば!(笑)。

そして、メンバース特典の内覧会、これがリッチでした!
受付の方が「夜がおすすめです」とおっしゃるので、素直に
夜にしたのですが、ほんの数人で美術館貸切状態に!
贅沢な企画ですね!!!

スライドレクチャーは、昼は立ち見が出るほどの大盛況だったそうですが、
夜は、非常にゆったりでした。
人のオススメには、従うものですね。受付のお姉さん、ありがとう!!!

バカみたいに暑い日常から離れ、静かでひんやり空間で、
江戸文化に触れる、素敵すぎます。

スライドレクチャーは、担当学芸員お二人による解説でした。
サントリー美術館で、ひとつの企画展で二人つくのは、非常に稀なケースだそうです。
それぞれ、ご担当が近代と中世で違う切り口で、同じタイミングで、企画を
考えていたそうですよ。
お二人とも、ご専門は渋いですが、ノリが若く、かわいいのです。
「上野に、最初の奥様の幹々と眠るお墓があって。上野でカンカン?となりまして」みたいな。
でも、お二人の年齢では、リアルにカンカン知らないのでは???

スライドレクチャーに参加して、やっと今回の目玉のひとつである「石山寺縁起絵巻」の
背景も理解致しました。
全七巻、「作るぞ」と決めたのは鎌倉時代。でも、完成しないまま、江戸に突入、六、七巻を谷文晁が描き、500年の時を経て、やっと完成したのです。

重要文化財なのですが、その模作をサントリーが所有、やっと今年、修復が終わったそうで、
そのタイミングが生誕250年だったというお話だと私は、理解しました(間違っているかもしれません・笑)。
サントリー版が、重要文化財版よりも前に描かれたのか、後になるのかは、これからの研究だそうですよ。

文晁に描かせたのは、白河藩主・老中の松平定信ですが、これが無茶ぶりで。
「一草一木たりとも文晁が私意を禁ぜられ」たそうです。
いくら、いろいろな画風で絵を描ける人でも、んな難題、気が遠くなるような作業ですよね。
昔の絵巻などを参考に忠実に命令に従いつつも、七巻の波は、もしかしたら、文晁の創作かもしれないという
お話でした。真相はわからないけれど、私は創作だといいなあと思います。迫力の波です。

石山寺縁起絵巻のオススメ鑑賞ポイントは、第二巻の孔雀教がよみあげられると、竜王たちが自分の名前を
聞いてワラワラと集まってくるところだそうです。同じ絵の中に、竜王たちが高僧をお送りするシーンもあって、
「かわいいんですよ」とのこと。確かに、かわいいです。というか、この中の白龍、めちゃくちゃ、
かわいくないですか?

最後に「図録をよろしくお願いします」とおっしゃっていたので、素直に買って帰りました。
まだ見ぬ絵もいっぱいで、ちょっとこの先が楽しみです。
文晁は、戦前くらいまですごい人気があった絵師さんらしいですが、あまりにもいろいろな絵を描けて
しまうため、逆に存在がつかみにくくなっているそうです。
企画展自体も、栃木で三十年くらい前に、東京ということだと、昭和6年以来なんですって。

余談ですが、私は文晁、ファインバーグ展で知ったニワカなんですが、そのとき、
肖像画を検索して、「見なきゃよかった」と思いました(笑)。
ショックを受けている私を勇気づけようと?、友人が名づけてくれました。
「ぬらりひょん文晁」と。
大変失礼なニックネームですが、でも、案外言い得て妙かもしれません。
だって、本当につかみどころがないですよ。そして、総大将っぽい器の持ち主です。

気の毒なのは、後妻との間に生まれた息子の文二さんかなー。
父・文晁、腹違いの兄(カンカンの息子なんですかね?)・文一とは違い、
技量で劣るとあちこちで言われていたようで。
つらかったでしょうね。後妻の阿佐子さんも、切なかったんじゃないかしら?

あ、そうそう、文晁の文は、師匠である文麗からもらったものらしく、
晁は、朝という意味があるそうです(朝日だったかも?)。
若いころは、文朝と表記していたこともあるようで、そんな作品も展示されています。
「何歳のころの作品だと思われます?」
んー、20代前半???

正解は、13歳ですって。呆れるくらい老成していて、うまいですよ。
今でいえば、中学二年生の絵ってことですよね? どれほど、筋がいいんでしょう?

とりあえず、消化不良のまま、今宵はこれくらいで。
この夏は、ちょっとサントリー美術館通おうと思っております。

 

 

 

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