慣れの問題?

行き帰りだけで、往復6時間コースの調律会が終わりました。

笙は非常にデリケートで、手のかかる楽器で、
昔ながらの方法で、調律します。
一般には想像しがたいような工程を踏みます。
孔雀石を水に溶かしたり、松脂やら、蜜蝋やらが登場するのです。
石を水に溶かす??? もう意味がわかりませんよね。
千年以上前からある楽器ですから。
もう悠久の時を奏でるわけですよ。

世が世ならば、私なんぞ、下々の者が触ることなどない楽器ですが、
今の時代は、習い事の形で手に入れることも出来るわけです。
しかし、何年やっても、上達の気配はなく、
後から始めた方に気楽に追い越され、まあ、辞めなければいいや、
おばあちゃんになったときに、ちょっと吹ければ、それでいいという
超適当な立ち位置でおります。

往復6時間、つまり、片道3時間というのは、ちょっとした小旅行です。
基本的に「遠いから、私は都内でお願いします」としているのですが、
どうしようもないときは、行くしかありません。
行けば、自然がいっぱいで、温泉もあって、のんびり出来るのですが、
のんびりの後に、電車で3時間が待っているので、実は、過酷という、
この複雑さ!

しかし、7月末に1回、8月に2回と間をあけずに行くと、だんだん慣れてきまして、
「あれ、もう立川までは苦じゃなくなったぞ」と気づきました。
これまで、「ヤダ、遠いから行きたくない」だったのに、
今回でどうやら、テリトリーが広がったようです。
あ、立川がイヤなんじゃなくて、遠いからですからね。

慣れって、すごいですねー。
きっと、海外によく行かれる方は、「ミラノ? ああ、あっというまよ」とか、
「エジプト? うん、また、行くよ」みたいにテリトリーが広いのでしょうね。

まあ、とりあえず、往復6時間×2日間の予定を無事に消化して、
心がほぐれております。

私の笙は、買ったときから難があったことが判明いたしまして、
先生のところに入院と相成ったのですが。
でも、まあ、そういう問題があるところも、自分っぽいなあと思ったりいたします。
不完全だからいいと言いますか、キャラ立ちしていて、かわいらしいというか。

さて、きょうも遠出でして。きょうは、往復4時間でしょうか?
昨日、一緒に笙を習っている方に言われまして。
「なんで、そんなにパワフルなの?」

あ、あと、コレも言われました。
「自由だねー」

詰め込み性分で、生き急いでいるだけですよぉ。
ただ、なんとなく、自分はそう長くは生きない気がしていたのですが、この前、
手相を見ていただいたでしょ?(だから、あなたの仕事はなんなの???)
そのとき、「典型的な長生きの相」って言われて、もう「エー!」ですよ!
この自分の中にある「まあ、いわゆる老後はなさそうだなあ」って感覚と、
ポンッと飛び込んできた「長生き」キーワードが合わなくて、
もしかしたら、占いって、運命の書き換え効果があるんじゃないかと
感じたりいたします。
本人が「短編小説」って感じているのに、
「いやいや、この話は、長編ですよ」みたいな意見が飛び込み、
そうすると、「えー、そうなの?」で、ちょっとブレが生じちゃいますよねー。
私は、細く長くよりも、太く短くがいいって思うのですが、
このままだとうっかり、太く長くになってしまうかもしれなくて、
そうなると、ハイテンションが永遠に続くのではないかと。
ひとりでドキドキしております。
密度が濃いのはいいんですけれど、でも、生身の身体ですしねー。ねえ?

あれ、話がズレまくりました?

自由は、まあ、確かに。親の介護や子育て、家の伝統を守るなどのしがらみがない分、
適当に時間は、組み立てられます。
でも、海外に行けるわけでもないですし、高価なブランド物を持つわけでもなくて。
好奇心にひっかかったものを「なんだろー?」で、のぞきみしている感じでしょうか?

自分を取り巻く状況が変われば、適応して、最善のスタイルになるでしょうし、
まあ、今は、こんな感じでいいんじゃないかと感じたりしております。

昨今は、人のつながりがぐるぐる渦巻き、「え、ソコとココ、つながっているの?」が
わかったりして、非常に面白いです。
「どんどん早くなっているって言うしね」
件の笙仲間さんの言葉ですが、私も同感です。
早い渦の中、濃い密度の毎日、その中で、体力や気力、時間やお金を消化するだけで
終わらずに、自分なりに累積して、何か形になっていかれたらいいなあって思います。

さて、一日を始めましょう。
きょうは、終戦記念日です。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加