壊れやすい時代

駆け出しのころ、よく使っていた言葉があります。

「絶好調」

そして、「大恋愛」。

いつのまにか、あまり使わなくなりました。
時代のムードにそぐわなくなってきたからだと思います。

「絶好調」なんて、そう長くは続かないよ。
すぐに足元すくわれそう。
「大恋愛」なんて、錯覚じゃない?
バカップルになるの、イヤだし。

そんな醒めたムードが、世の中を支配している気がします。
自分のこととは思えずに、どこか他人事というか。

でも、昔は、「そうか、絶好調か!」
「大恋愛? わくわく」みたいな空気が残っていたんですよね。

昔のananの占いには、「パーティー」が非常によく出てきてました。
パーティー???

なにそれ、誰がどこでやっているの?
パーティーに呼ばれない私、予定がない私はダメってこと?

昔は、そういう焦りを煽る時代だったと記憶しております。

最近は、いいなって思うんですよ。
占いも等身大になってきたというか。
ファッション誌も、リアルクローゼットが主流でしょう?
昔は、ヒトケタ違いましたから、20万の服、庶民は買えないのに、
気楽に「みんな、持っている。今はコレ」みたいなノリでしたから。

面白かったのは、少し上の世代の友人から聞いた話で。
「あのころ、月収が13万なのに、なぜか100万のロレックスを
みんなでおそろいで買っていたんだよね。なんで買えたんだろうね?」
ボーナスが破格だったというのもあると思いますが、
でも、計算が合わないですよね。時代がもたらす錯覚です。

ただ、最近は、リアルが行きすぎて、夢が見られなくなってきているというか。
最初から、諦めが入っていて、「私は、そっちじゃないから」みたいな
線引きが見え隠れするというか。

また、すごく人が壊れやすくなっていると感じるのです。
心が壊れるケースもありますが、なにより、気分が壊れてしまうケースが
多くて。
気分が壊れ、で、全部なしにしちゃうこと、すごく目立つ気がします。

「もうやめた」
「行かない」
「縁を切る」

状況もあるし、相性もあるし、仕方がないときもあるのですけれど、
どうも、「もういらない」の繰り返しになっている気がしてならないのです。

「別に、それほど、やりたかったわけじゃないし」
「そこに行かなくても、いいし」
「他にも、友達がいるし」

執着しない時代。
物わかりがよく、引き際の判断が早く、何にも縛られないし、
何も縛らない。

いろいろな生き方があります。
その人の決断であり、選択であり、覚悟しているつもりがないのに、
覚悟になっちゃっています。
ただ、そういう淡泊さ、「絶好調」とか、「大恋愛」とかの対極にあるように
感じます。濃度が違う、密度が違う、だから、結果も違う、乗れる運も
変わってくる、そんな気がするのです。

でも、どっちがいいというわけではなくて。
価値観は、育った時代、社会人デビューしたときの世の中の景気にも左右されますから。
絶好調でなくても、幸せになれるし、大恋愛じゃなくても、深くつながれますよね。
充足、満足、納得があれば、それでいいのかもしれません。
貪欲に、上昇志向を持ち、ガツガツと……なんて、ちょっと古い気がしますしね。

ともあれ、今は、とっても壊れやすい時代。
その中で、タフに生き延びていかれれば、それだけで御の字かなって気がいたします。

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