仕事考

昨日、旧友に会いました。
私よりも、少し年上の人です。
子育て一段落、でも、親のことが気がかりという感じの世代です。

不動産投資などを考えていらっしゃって、すごいなーって思いました。

で、話の流れで、仕事について考えることになったのですけれど。

やはり、時給で働くのには、限界があると感じるのです。
経験を積むまで、準備が出来るまでは、一時間いくらで働くしかなかったりしますよね。
でも、その先は、違う方法でお金を生み出すことを模索しないとつらくなります。
仮に、時給が1000円だとしたら、月に25日8時間みっちり働いても、20万ですよね。
20万が手取りではなく、ここから税金も、保険も引かれていきます。

そりゃ、お金なんて残りませんよ。生きていくのが精一杯で、カツカツです。
でも、正社員としてスタートを切らないと、途中から混ぜてはもらいにくいのが、我が国の実情です。私も痛い目に合ってきましたから、よくわかりますとも!

そして、キャリアがない、あるいは、年を取っているという理由で弾かれる可能性もあります。まったく、イヤな世の中ですよね。

ただ、この前、アレクサンドリア帰りの友人が面白いことを言っていました。
「10年前は、35歳が上限で、年齢切りがあったけれど、今はそうじゃないんだね。若い人が少なくなって、年を取っている人も使わなくてはいけなくなったんだなって思った」って。

こういう視点、ずっと日本にいると忘れちゃいますよね。

「働く気になれば、仕事はあるのは、日本のすごいところ。いいところ」

えり好みしないで、働けばいいわけです。まず、生きていかないといけませんし。
そして、きょうのパン代を稼いだら、次を考えましょうよ。
ずっと同じ境遇に身を置いてしまうと、慣れてしまって、動けなくなります。
その前に、時給仕事の次を考えましょうよ。

私たちはつい、完璧を求めてしまいます。
パーフェクトな幸せ。パーフェクトな自分。パーフェクトな恋人。

でも、完璧は、次の瞬間から古びていきます。飽きもくるし。
それならば、未完全な今を面白がっちゃうほうが勝ちではないでしょうか?
こき使われて、クタクタになった家路もまた、ドラマや映画ならば、何かが起こります。
「何もいいことがない」、「どうしようもない」なんて、頭打ち感でいっぱいになっていたら、何かが起こっても気づかないかもしれないわけです。

未完全な今で、たぶん、だいじょうぶ! 時給生活でも、だいじょうぶ。
でも、少し先は、違いますよね! そういう心意気、絶対必要だと思ったのでした。

 

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