最近、「難しい」、「厳しい」が、面白いと感じるようになりました。
ちょっと、説明が必要ですね。
難しさ、厳しさは、確かにそこにあるのですけれど、だからこそ、攻略の喜びがあるというか。 いや、基本は、「まいったなー」なんですけれど。
目下のテーマは、ネットでの自分の立ち位置、人間関係などでしょうか。
私の意識の先には、常に、「人」がいるのです。
昨日、開運会議の後に、出版社さんにお邪魔しました。
きょう、戻す初校が全部出ていなくて、後半部分をもらいにいってきました。たいていは、宅急便などで届くのですが、たまーに、「あ、じゃあ、寄りますよ」があります。
で、寄ってもらってきました。
そのとき、ちょこっと雑談して、しみじみ、「ああ、似たところに立っているなあ」と感じました。
本当は、些末なことに惑わされないスーパーマンになりたいのです。しかし、ひとつふたつならば、笑って済ませられることも、いくつも重なってくると、「もうやだー」ってなるもので。
「もうやだー」を言わずに、「大丈夫ですよ」、「構いませんよ」、「じゃあ、そっちに寄せましょう」と言い続けられる人間になるかどうか、今、試されているのです。
本音は、「もうやだー」なのですけれど、でも、「何事もなかったように」振舞っていけば、何事もなかったように収まっていきます。それが、人間の器なのかもしれません。
実際、「もうやだー」は、自分の感じ方の問題で、相手にはこれっぽっちも悪気はない可能性も高いのです。それぞれ、スイッチがありますから、たまたま、相手が知らずにそこを押してしまっただけで、別に他意はないというか。ここは、相性がありますね。
そこを見誤ると、すごく損をします。たいていの場合、悪意はありません。わざとじゃないのです。たまに、わざとの人がいますけれど(笑)。
わざとじゃないのに、キツく返されたら、先方も気分を壊します。
そんなことを繰り返していたら、どんどん関係がギスギスして、世の中全体がイヤーな感じになっていきます。
だから、劣化していく世界を、私たちが救えばいいのではないかと。
ギスギスと戦う戦士なのだと考えると、ちょっと楽しくなってきませんか?