おはようございます。章月綾乃です。
昨日は、所用があり、出かけました。
最近、息抜きが毎月の「お誕生会」だけになりつつありまして。
それ以外は、基本働いております。書いて、寝て、書いて、寝て。しかし、この詰まっている感覚、同じ仕事をしている方以外にはわかっていただきにくいのです。
きっと、だから、お誕生会に凝るのでしょうねえ。と、自己分析したりして。
さておき、そんな状況なので、久しぶりに自分とはまるで違う価値観に揉まれました。
「なんで、そうなっちゃうの?」
まだ整理しきれていないのですが、たぶん、切り口は、「自信」です。
自信を持つために、周りを下げる……。
自信を持ちすぎて、周りが低く見える……。
そういうのが、どうも私は苦手みたいです。
いずれも洗練と程遠く、洗練されていないものを受け入れる余裕、今の私にはないというか。
別の角度で、もうひとつありました。
大前提が思ってものと違うと、見えてくるものが変わってくるということです。
たとえば、恋人のいる人を好きになってしまって。
大前提で、「あの人は、おつきあいしている人と幸せなのだ」と考えるのがふつうですが、不倫や秘密愛にハマッてしまうと、「あの人は、本当はおつきあいしている人と別れたがっている」的なフィルターがかかります。
大前提をどこに置くかで、感じ方、そして、行動パターンも変わってきちゃうのですよね。
「自信」と「大前提」について、非常に象徴的なことに気付けました。
こういうことがわかるのは、たいてい違う価値観に揉まれたときです。
「イヤだなー」、「つらいなあ」「なんでそうなっちゃうのかなー?」が、「合わないなあ」、「うわ、私の身分、この人の中でめちゃ低いなあ」、「いつもこうやって周りを下げているのか」などの考察になって。
「あ、だからか!」と、ふっとひらめきます。
おそらく、このひらめきを得るために、苦労しないといけないのでしょうね。
これは、成長と呼ばれるものなのかもしれません。
ということを考えた日曜日なのでした。
本当に本当に 解ってしまうんですね
ピンときますよね!
「あー。そういうことね!」って。
「あー」があると、多少は飲み込みやすくなります。
価値観合わないとつらいですが、経験や住んでいる環境で、差が出ちゃうのは仕方ないですよね。