ふと思い出したこと。

一年くらい前のことでしょうか?

あのとき、キレたなーって思い出しました。
友人の紹介でよく行くようになったレストランで、仲良くなった女の子がいました。

なりゆきで、その子と別のお客様と私とで、遊ぶ約束をしたのです。
その場ではたいそう盛り上がり、楽しみにしていたのですが。

いくつかあげた候補日があって、でも、なかなか絞られないから
しびれをきらして、「どうしたの」って聞いたら、
「紹介者さんを誘って、答えを待っているから」って言われました。

これには、キレましたね。
バカじゃないの?と。

紹介者さんを誘うのはよいのですよ。その人がいないとなかったご縁だし。
仲間外れにしたつもりはありません。
でも、この約束の主役は、最初の3人です。
なぜ、決定権が後から誘われた人に移るのでしょう?

そこで、「もうやめよう」って言って、話を流しました。
簡単にキレて、あっさり切りました。

やはり筋としては、最初に盛り上がった三人で話をまとめて、別の人を誘いたいなら、
「こういう日取りで、こういう条件だけど、ご都合が合えばぜひ」と誘うものだと思うのです。

どうも私は、こういう主客逆転の話に耐久性がないようです。
いや、わかりますよー。
「章月さんと遊ぶなら、紹介者さん誘わないと悪いだろう」というのは。
わかりますよ。私も声かけたし。

でも、人ってさ、3人を超えると、もう予定が合いにくいものですから。
お互いに譲歩して、時間を作らないと難しいですよね。
大人になればなるほど、みんな忙しいですから。

話の流れで盛り上がり集まろうとか、遊びに行こうというパターンが
数年に一回くらい来ます。
人が人を呼んで、わりと巨大化するのですが。
こういうの、私は、天からの贈り物だなーって思うんですよね。
そのとき、ご縁があって、「お、楽しそうだね」とか、「いいね」って乗ってきて
くださった方は大事にしたいなって思うのです。
経験から言って、そういう集まりが永続化することはまずなくて。
ある一定の時期、特別な間だけ、なぜかくっついていると感じるので。

大勢で会うと、関係性は希薄になるんですが。
ただ、ぼんやり自分の好きな人がそこにいて、ニコニコお酒飲んだり、
ご飯食べたりっていうのが幸せだなあって思ったりします。
たいてい、無茶なプランが飛び出してえらく盛り上がるけれど、実現は難しく、
そのまま集いの習慣も失われていくのがパターンなわけですが。

貴重だと思うんですよね。そういう偶然が生み出す関係。
だから、冒頭の3人の集まりも、本当はすごく楽しみだったのですけれど。
そこに現実的なしがらみ、紹介者さんなしでは企画できないよー的な義理人情が
入ると、途端に色褪せちゃいます。
「なぜに、そのメンバーwww?」みたいなのが好きなんですよねー。
なんかよくわかんないけど、集まったからでOKで。
「意味わかんないけど、行くよ」が一番うれしい言葉かもしれません。
意味わかんないけど、集まることが多いので。

もちろん、筋は通しますよ。
メンバーに接点がある人には、「こんな感じでやりますが、よろしかったら」のインフォメは入れます。
誘われなくて悲しいも、絶対にイヤなので。
でも、主客転倒は違うんだよぉぉぉぉ。

なんてことを唐突に思い出したのは、また、数年ぶりに10人超えの
ふしぎな会がありそうだからです。
主客転倒は、いけません。
関係各位に、案内が行き届かないのも、もってのほか(あ、だから、人数が巨大化するのか←今、気づいた!)。
ただ、そのとき、物好きな人が集まって、気楽にくつろげれば、なんかそれは、
天からの贈り物みたいな特別な時間ではないかと感じるのですが。

誰ちゃんを呼ばなきゃ!も、窮屈でイヤだし、
誰ちゃんがいるなら行く、いないなら行かないも、心底バカみたいだし。
ゆるくて出入り自由でなんか適当なのが、いいと思うんですけれどねー。
で、「○○さんも誘っちゃいました」が出来る会がいいと思うのですが。

世間的には、私が変なのでしょうか?
まあ、いいや、突発的に起こるゆるい集まり、おもしろいんだもーん。

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