昨日は、打ち合わせと私用が重なりました。
まず、私用から済ませたのですが……。
なんというのですかねー。
人生は、ホント、本人次第なのですね。
ちょっと普段はいかない、というか、一般の方は御用がない場所に足を運びましたが、
明らかに自分が浮いているのがわかります。
みなさん、目が合っても目礼もしない……そんな場所でした。
えー、そこで無視?みたいな感じというか。
ややこしい事態になってしまうのには、いろいろな要因があるわけですが、
まず、挨拶くらい出来るようにならないと、そこから抜けるのは難しいんじゃないだろうかと
ぼんやり考えました。
困った状況に陥ったとき、自己嫌悪がすごいわけですが、そこで自分を否定しても
なんにもならないですよねー。そうせざる得なかった状況とか性格とかがあるわけで、
だから、「自分はダメだ」とか責めても意味がないと思うのです。
客観性を持てば、「自分もダメだけど、みんなも、ダメじゃん。OK、OK!」みたいに
なるわけですよねー。そういう開き直り、結構大事じゃないかなー?
自己嫌悪する人は、自分を卑下しますけれど、見方を変えると、
常に人との優越を測っているということですよね。
人より劣っているの反対は、人より優れているですから。
まず、そこから抜けないと!
また、つらいのは、自分だけじゃないって思えると、ちょっと頑張れたりしますよね。
そういう意味で、みんな同じで、一緒で、形や表れ方が違うだけって思わないと
どんどん行き詰ってしまうのではないでしょうか?
しみじみ、自分は明るいのだと痛感しました。
これ、本当は、暗さの反動なんですが。いじけていた子供時代があり、そういうのに
飽きたんですよね。「自分で自分を不幸にしているんじゃん!」って。
暗さも、明るさも、誰の中にもあって、どの部分を出すかを選択しているわけで。
ある人に「章月さんは優しくて強い」って言っていただいたのですが、
優しさや強さはわからないですけれど、人間のダメさには耐性があります。
父がややこしい人だったので。
母の思い出から眺めると、いいところもある人だとわかりますが、子供としては
冗談じゃねえ!って人格でした(笑)。でも、しょうもない父を持ったから、
ダメなことへの耐性がつき、客観性が鍛えられたのだと思います。
ん??? 客観性って鍛えるものなのでしょうか? 鍛えないか?
自分の明るさは再確認したのですけれど、やはりダメージはあったみたいで、
気持ちを切り替えて打ち合わせに行きました。
初めての編集部さんだったのですが、とにかく、明るくて健やかです!!!
陰をのぞいた後に、明るい日向に出た気分です。もう本当にありがたくて!
さすがに初対面の方々に「きょう、こんなことがあって」は言えなかったのですが、
世界は広い、いろいろな人がいるんだね!って1人で感動しておりました。
こういう多様性、極端なブレ、すごく面白いです。
自分の役目は、目礼すら出来ない、忘れちゃっている人たちに、
挨拶をし続けることかなーって思いました。
「こんにちは!」って。
実際の挨拶の場合もあるでしょうけれど、こうしてブログでもいいし、
書籍でもいいし、雑誌やwebの記事でもいいし。
日記の形だったり、占いだったり、心理テストだったり、物語だったり……、
おしゃべりでもいいんですけれど。
みなさまのお返事で、また、いろいろ見えてきますし。
そういう対話や交流の中から次に進めると、すごくいいですよねー。
昨日あったことは、とても大事な経験だったのだと思います。
そうそう、運を生かすために、打ち合わせの後で靴を買いました。
ふふふ、新しく歩き出すのです。靴を買う、象徴的でしょう?