毒が抜けて。

癒しフェアの毒がやっと抜けました。
たいてい、場の空気にやられちゃうみたいで、デリケートな方には向きません。
私は、他のスピリチュアル系のイベントはのぞかないのですが、というか、
スピリチュアルからは距離を取っていたい派なので、業界がよくわからないのですが。

聖を際立たせる分、俗も色濃く残るのかもしれません。

スピリチュアルな人を信用するかどうか、私の基準は、その人が生活者であるかどうかです。

高い壁に囲まれた聖域でご神託を下すためだけに暮らしている特別な存在には、
敬意を払います。が、日本で会えるスピリチュアルな人は、そうではないでしょう。
生活するという俗を捨てられません。

ならば、きちんと生活しているかどうかが、カギになってくると思うのです。
ありていに言えば、人としてマトモかどうかです。
スピリチュアル稼業をしていて、コミュ障とかザラにいますよね。
ある意味、ピュアすぎて、世間とズレてしまっているというか。

2008、2009年ごろ、よかったでしょうって言われたのですが、
うーん、どうかなー?

確かに神社や神様にひっぱられた時期ではありますが、比較的早く抜けた気がします。
ある友人いわく、「龍神様に気に入られると、あちこち連れまわされるよ」で、まさに
そんな感じで、気になる場所へ突き進みました。その流れで、笙もあるのですが。

パワースポットブームがあって、少し違うなーと思い、
なんでもかんでも「ありがとう」には、生理的に拒絶反応が出て、それから、
「神様は聖地に求めるのではなく、自分自身と向き合うのだ」説が浮上するころ、
ストンと抜けました。
そういう意味では、まんまとひとつの流れに乗っております。典型でございます。
ちょうど、身近なところで、「え、神職なのに、そんなんでいいの?」があったりして、
スピヤダヤダスイッチが入りました。

きっと、極端な聖を求めて、自分も清められたような錯覚に陥っていたのでしょう。
今は、「神職さんだって、人の子。仕方ないね」があるわけですが。
ヤダヤダスイッチは解除されましたが、装備はされておりますね。ハハハ。

光ばっか見ていると、影に足を掬われますよってことかもしれません。

インド占術のコに、「スピリチュアルは切っても切れない要素ですよ」って言われましたが、
「そうかー?」と懐疑的でございます。
ああ、そういえば、アガスティアの葉を読むインドの人にも、部屋に入っただけで、
「スピリチュアルな仕事をしているね」って言われたことがありますが。
まあ、確かに占いはそっちですけれど。

私、もっと現実でいいですよ。
でも、大きいカテゴリーの中では、スピ系になっちゃうのかなー。なっちゃうかー。
まあ、いいけどさ。

昨日、きょうのテーマは、「ゴロゴロする」です。やることは棚上げ、ちょっと休みまする。

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