三日坊主は脱出っと。

笙を始めた年、あれは2009年だった気がします。
翌年でしょうか。毎日、稽古すると決めて、ムキになってやっていました。

しかし、ほんの一、二ヶ月で断念して、それからはお稽古の日に
やっと温めるというダメ生徒になっていました。
去年は特にひどくて、全然頭が笙に向かいませんでしたねえ。
まあ、半年完全に休んでいた時期もあるので、それよりはましなくらい?

暮れに旦那に「何のためにやっているの?」と言われ、グウの音も
出なくて、凹みました。

しかし、手元に本管があります。
うっかり買っちゃったやつですが、笙があるのも普通じゃないわけで。

この前、誕生日が来たので、その日から吹いています。
調子を3つ。平調に盤渉調に、毎日、何かひとつ。
最初の日は、新春ということもあり、春の調べの双調にしました。
翌日6日は、太食調。
7日は、そういや、ずっと、やっていなかったなで、壱越調。
8日は、黄鐘調。高音域で、結構複雑です。
9日からは、サイクルを戻しまして、きょうで5日目。脱・三日坊主です。

盤渉調の調子だけで、30分くらいかかるので、ほぼへとへと。
手探りで音を探っていく作業なのですけれど、六調子を全部さらって、
「ああ、ココとココがリンクしているのかー」とか、
「ココは、コレの変形かー」とか、昔、どなたかが考えた仕掛けの紐を解く気分になります。
「このつなぎは、定番の音のつながりじゃなくて、ひねっているなー。なんでだろう?」とかね。

で、ひとつだけ、胸を張って言えるのは、「笙があると、2010年のころの自分を思い出せるんだよ」ってことかもしれません。
習いたてで、本当に必死だったあのころ。

ちょっとしたタイムスリップ。
双調の調子は、春の訪れ。山に日が差し、雪解けの音のように感じます。これはまあ、一般的でしょう。
太食調の調子は、身分違いの公達と女官の恋の物語のように響きます。←相当ヘンな感覚らしいです。
平調の調子は、雨乞いっぽいっていつも思っちゃうんですよねー。演奏を聴くと、違う響きなんですけれど。誰も雨なんて言いません。ハイ。
壱超調の調子は、まだ、つかめません。
黄鐘調の調子は、禁断の恋をする公達の外伝、若き日の活躍の図のように感じます。栄光の貴公子ライフのイメージです。
盤渉調の調子は、失われた都の風景が浮かびます。滅びと希望。絶望と思い出。

ハイ、俗に、妄想タイムとも言いますね。
ま、笙を吹いている間は、大丈夫。軸は、自分にあります。出来るだけ、続けたいなと思います。

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