昨日の神道文化会の講座で、加門七海先生がこんなことをおっしゃいました。
「占いをしない人も、夢は見ますから」
もう目からウロコがポロポロで、嬉しくなりました。やはり、この仕事をしていますと、反発や全否定もあるんですよ。
「信じないから」
「当たるの?」みたいな。
私のトラウマをひとつお話ししますと、まだ駆け出しだったころ、やっと有名雑誌に書かせてもらえ、嬉しくて友人に話したところ、「あなたが書くなら、もう信じない」と言われてしまいました。本当に悲しくて。神秘性を壊して悪かったですが、私が占いを仕事にした話はしていたのになあ、です。
その子は冗談や軽口のつもりで言ったのかもしれませんが、20年経っても、痛みと悲しさが澱のように残っています。ちゃんと学んだし、めちゃくちゃ文章直されて、それでも諦めずにやっと書けたのに、全否定ですか。まあ、この場合、否定されているのは、占いではなく、私の能力ですが。ははは。
占いを信じないのも、ひとつのスタイルでしょう。しかし、「占いを信じない人も、夢を見る」のです。なんて、愉快で痛快な視点でしょう。
占いは、いつも必要なものではありませよね。占いにすべてを委ねるのは、間違いです。依存するのは、危険なことです。
「占いで言われたから」で、何かを決めてはいけません。あくまでも視野や選択肢を広げるためのものですし、視点を変えて物事を検証するための材料にすぎません。言われたことを鵜呑みにするのではなく、ご自身で吟味し、感覚的に合うか考えなくてはいけないと私は考えます。最終的には、ご自身で選ぶのです。
だから、夢でもいいわけです。夢でハッとする、夢見が悪くて引きずる、夢のお告げに従う、などなど。
なんて世界は、不思議に満ち、楽しいのでしょう!
占いも夢も同じ源から生まれ、意識して取りにいかなくても、指針をもらえるなんて!
「夢なんか見ない」
そんな方も多いかもしれません。でも、それは、何かを麻痺させて生きているからかもしれませんよ~。余裕がなくなると、夢見にくくなりますから。
要は、無意識との対話ですよね。
占いも夢も無意識の混沌から浮かび上がってくるものの表れですから、顕在意識の世界で使いこなすためには、こちらの言葉への置き換えや読み解きが必要になります。
そこが、ご自身の感性だったり、占い師の腕だったりするわけですが。
占いを信じない人も夢を見るならば、今を知るためのよりわかりやすい手がかりが必要になります。
私ももっともっと研ぎ澄まし、よい読み手になれるよう頑張ろうと思いました。