加賀の潜戸や隠岐のこと。

氷川神社さんについてお問い合わせをいただき、
雑談メールをお返ししたところ、記憶のフタが開きました。

そういえば、私の神社好きは、出雲から始まったのでした。
さらに元をたどっていくと、「龍」探しからなのですが。

龍を探して、最初にうかがったのが、京都の浦嶋神社さんでした。
そう、浦島太郎の伝説のある神社です。
なぜに、龍で浦島太郎? いや、「龍宮」連想だったのですが。
しかし、こちらには、私が探している龍の気配はなく……。

ちなみに、一言で京都といっても、シャレにならない遠さですよ。
我ながら、よくもまあ、行ったものです。

次に、出雲に行き、諏訪に行き、鹿島に行ったのでした。

もっとも、最初の出雲は、ルイス・C・ティファニー美術館目当てでした。
庭園美術館で出会った《鹿の窓》にまた会いたくて、それが、日本にあると、
知って驚いて、旅を企画したのを覚えています。まるでついでのように、
「あれ、出雲大社、結構近いんだ」で、初参拝だったと思います。

そして、初めての出雲で、海上自衛隊の方のお話を伺って、
「隠岐に行きなさい」と言われたので、二回目の島根の訪問は、
素直に、隠岐でした。

隠岐で、私は悪夢にうなされました。
「なぜ、戻ってきた」「どのツラを下げて」
「あんなことをしたのに、よくもまあ」
見えない憎悪が飛んできます。
なぜか、昼間、参拝した玉若酢命神社のご神木である
八百杉が庇ってくれたのです。

「まあ、まあ、そう言わずに」

八百杉は、もちろん、ご神木です。
ご神木が庇ってくれたって、もういくら夢が破天荒だからって、
意味がわからないですよね。

ものすごい汗をかいてなんとか目覚め、その日は、隠岐を離れる日でしたが、
フェリーに乗る前に、もう一度、玉若酢命神社様に寄りまして、
八百杉にお礼を申し上げて、失礼したのでした。

あの夢はなんだったのでしょう。

東京で、『隠岐島コミューン伝説』という本を見つけ、あるいは?と思いましたが、
未だによくわからずにおります。

隠岐といえば、天皇が流された島くらいの認識だと思いますが、
実際に足を運ぶと、豊かさに驚かされます。
海上自衛隊の方がオススメしてくださったように、本当に自然が豊かで、
素晴らしい島でした。もっとも、4島のうち、3つしかうかがっていないのですが。

前世で何か因縁があったのでしょうか?
よくわからないですね。

で、よくわからないことは、いくつもありまして、基本的に私は、見えないものは
わからないタイプなのです。ところが、結構いろいろな不思議が島根では起こりました。
加賀の潜戸でもあったし、美保神社さんでもあったし、須佐神社さんでもあったし。

ただ、共通していることがあります。
基本、1人の参拝のときです。1人だと、何かが緩むのでしょうか。
すっと世界が変わります。

おそらく、どなたかとご一緒だと、私は人に意識がいくのです。
意識が現実から離れません。

人と一緒で、「おおお!」は、早朝参拝の伊勢神宮、内宮の荒祭宮でしょうか。
開放されているとはいえ、闇の中。
確かに、そこは、神の領域でした。
闇の中は、どなたかと一緒にいても、一人なのかもしれませんね。

こういうこと、すっかり忘れていて、離れていました。
今、記憶が蘇るのは、何か流れが変わったせいでしょうか。

玉若酢命神社様の八百杉様は、立ち枯れているという話ですが、
本当にそうなのかしら?と思うほど、力強く、印象深いです。
もっとも、夢で逢っていますから、そちらのイメージかもしれませんが。

大雨の中、出雲大社にひとりで参拝したこともあります。
通常、あれだけ大きなお社ですと、どんなに早朝でも、どなたかがいらっしゃるものです。
ところが、狂ったように大地を叩く大粒の雨に、しばし、空白の時間が流れました。
とにかく、雨。狂ったような大雨、大きなお社にたった一人です。いや、ご神職様たちは
いらっしゃいますよ? 早朝ですから。でも、人気がありませんでした。
正しく正面から伺って、同じ道を戻って鳥居を出たとき、参道が産道と言われる意味が
わかった気がしました。

高千穂も阿蘇も、東北の神々も、まだご挨拶しておりません。
いずれ、ご縁が生まれて、うかがえる日が巡ってきますように。
神社愛、なぜか蘇ってきました。なぜでしょうね? 面白いですね。

《鹿の窓》も、死ぬまでにもう一度、眺めてみたいです。

ルイス・C・ティファニー美術館、本当に好きな美術館でした。
今でも、美術館オリジナルのファイルも図録も、大事に大事に取ってあります。

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