この前の木曜会にお越しくださったお客様は、Yahoo!Japanのウィークリー心理テストから、
ブログを見つけてくださって、ずっと読んでくださっていたそうです。
正直で、面白い。
そう言っていただけて、なんだかとても嬉しくなりました。
ついこの間も、魔女様たちとそんな話になったところでした。
「ブログ、エレガントに書くのはどう?」とご提案いただき、
「えー、無理ですよぉ。ガラじゃないですよぉ」と答えました。
「そうね、なぜかオチをつけちゃうタイプよね」みたいな
着地をしたところだったのです。
なんというか夢っぽいやつは、世間にゴロゴロ転がっていますよね。
「きょうは、満月です。お月様にお祈りしましょう♪」みたいなやつ。
そういうのは、どうも落ち着かないんですよ。
季節の移ろいを書くならば、二十四節気系の日本の暦に添いたいし、
そっちの属性は、寡黙な気がするのです。声高に主張しない。
ただ、気づけば、桔梗の花なぞ活けている感じ。
いや、私には、そんな風流な習慣はありませんが。
月には、いくつもの顔があって、ある種の人達には、満月のお財布ふりふりなのでしょう。
でも、私は、どうも、それは違う気がしていて。
ねえ、そんな浅ましい現世利益のための対象にしていいの?です。
お月様が僕の後をついてくる的な親しさ、優しさ、家庭的な側面か、
信仰の対象としての聖なるもの、清らかさか。
もっと、地に足をつけて生きたいのです。月は高い所にあって欲しいのです。
ま、この世界は、多重構造なので、いろいろな価値観があるし、
いろいろなやり方があるし、いろいろな幸福の形があるのでしょう。きっと。
それに、何かを読んだとき、聞いたときに、「違うな」って思うことも大事ですよね。
それは、自己確認ですから。
「違うな」から、どうして違うのかを考えたり、他のやり方を模索したり、また、
少しステップアップが出来ますし。
私は、お月様に向かってお財布は振ろうとは思わないけれど、
銭洗い弁天でお金は洗います。
でも、「洗うなんてなんてこと!」という人もいそうですよね。いや、いないか?
そうそう、イメージのままに書き進めていけば、月には、鏡というニュアンスもあります。
鏡は、今年、やたら繰り返し出てくるモチーフです。
もっとも、鏡は私の中で大事なキーでもあるのですが。
ダウジングのワンデーレッスンに行ったとき、
「鏡をあまり見ない人は、鏡と同質で無意識に弾いている」という説明があり、
妙に納得したのでした。ハイ、私は鏡を見ない、あまり見たくないタチです。
そして、人のブログで気づいたのですが、ごく最近、変ってしまって嘆いていた
スペイン国立バレエ団の旧バージョンの「ボレロ」にも、鏡が多様されています。
鏡と群舞の競演なのです。
鏡、世界を映すもの。
月に属するもの。
歪みなく、もっとも、私そのものが歪んでいるかもですが。
それは、もうお許しいただいて。
出来る限り、正確に。正直に。
いただいた南部せんべいをパリポリ砕きながら、心新たに思ったりいたします。
パリポリ。ごちそうさまです。