4月、媽祖廟のおみくじで「中秋まで待て」と出ました。
昨日、めでたく中秋を迎えたため、ウキウキおみくじに再チャレンジしたところ、
今度は、「新春まで待て」と出ました。
ナニ、この待て待て攻撃!!!
すっかりワンコの気分です。
昨日は、「なんだかなあ」と思っていましたが、一晩寝て整理されました。
確かに、そういう流れなのかも。
中秋に待ち人来る……みたいなコトも書いてあるのですが、私にとっての待ち人は、
マシュー・ボーン氏だったのかもしれません。
だって、久しぶりに考えていますもの。ドラマについて。
ちょいとネタバレさせていただきますが、あ、だから、マシュー・ボーンの
「眠りの森の美女」を予備知識なしでみたい方は、ココで止まってくださいね。
要は、眠りの森の美女の世界に、ヴァンパイアをぶっこんだんですよ。
マシュー・ボーンってば!
設定としては、美女が眠る前に恋に落ちています。
ついでに姫はもらい子、平民の出という裏設定もあるようです。
狙いとしては、時を超える恋を描きたいってことだったんだと思うのですが……。
昨日も書いたのですが、ヴァンパイアになっちまった後の時の流れは、
人間と体感が違いますから、「僕は君を100年待っていたよ」って言ったところで
「はあ、そうですか」ですよねえ。
人間が100年相手を思い続ける、寿命が尽きてしまうけれど、ずっと愛し続ける、
滅びゆく命が前提なら、それは、感動につながるかもしれません。
が、「永遠の命を得た男が、愛する女性を取り戻し、ヴァンパイアに変えて幸せになりました。
めでたしめでたし」って、どこの中学生の妄想ですか?ではないでしょうか?
おそらく、こんなの新人が企画出したって、「ああ、ハイハイ」で蹴られて終わり、
「もっとよく考えてね」で「オレ、才能なのかな?」とスランプルートに落ちるレベルです。
でも、ビックネームがやると、世界的なヒット!となり、「美しすぎる世界」になるわけでしょう?
誰も止めなかったの???
いや、キレイですよ? 美しいですよ?
で、ダンサー、踊りっぱなしです。気の毒になるほどですよ?
でもさー!!!
着地が中二病で、ポカーンですよ。
しかも、スタンディングつき!? 大丈夫なの? ねえ、みんな、大丈夫なの???
切り捨てられたプランBで、ヴァンパイアになった苦悩とかがあったのでしょうか?
「100年待つなら、ヴァンパイアになればいいんじゃね?」的発想、そもそも、焦点がズレるって話にはならなかったのでしょうか?
興業的に、「アリモノ」の再加工じゃないと売れないのかな? 私が大絶賛のPWWはウケがそれほどよくなかったらしいから、「やはりみんなが知っている話をあなた流に」が、マシュー・ボーンに求められてしまっている役割で、業なのかしら?
昨日はビューティーシートで見ながら、いろいろ考えてしまいました。
このカンパニーのアンサンブルに入って、入った直後は「わー、入れた!」で嬉しいだろうけれど、その後、役付きがないと、つらいだろうなあと。いわゆる王道のダンサーでは、主役は回ってこなくて。
かといって、実力があるから役が取れるというわけではないでしょう。
主宰の好みもカラーもあります。
アンサンブルでも、目を引く人があちこちにいます。
たぶん、昨日、「わあ、ブレない。すごい」と感じたダンサーは、通常のバレエ団だとアクが強過ぎ、マシュー・ボーンのところだと主役の柄じゃないという、踊れるのにタイトルロールは回ってきにくいというスキマに入り込んでしまうと思うんですよね。
ココにいるのが好き。ココで踊っていたい。
そんな純粋な思いがあればいいわけですが、それ以上の欲が出てきたとき、アイデンティティを保つのが難しいだろうなあと……深読みしながら見ちゃいました。自分のポジジョンはそれなりに確立されていきますが、新人が次々に現れ、やりたくても回ってこない主役の座をかっさらっていくわけですから。
キャラの違い、運の違い、タイミングの違い……。持って生まれた役目の違い。それは、そうなんだけど、そうそう割り切れるものではないと思うんですよね。人間だもの。まあ、「あそこにいました」で、ハクがつく世界でしょうから、いいのカナ?
客席の期待、スポンサーの確保、ダンサーたちのメンタルケア、そして、最大の命題、新作の創作……。
世界を回る4年前の作品。4年も前の自分に責任を取らなくてはいけない状況。
過去の名声。今の自分を作った大ヒット作品。越えられない壁。いや、それは、気にしないのかな???
どれほどのものが、マシュー・ボーン氏の肩にのしかかっているのでしょうか。
そう考えてみれば、多少、話が中二病でも、「えー、それぶっこんだら、大前提、台無しじゃね?」でももういいのかな?って気がします。
立ち位置、見ているもの、求められているものの大きさから考えると、あれだけ甘口ロマンチストでいられることも才能なのかもしれません。
昨日、うっすら引っかかったのは、「ん? この後半の森の世界、なんで妖精が担当なわけ? ココは、オーロラに踊らせてもいいんじゃね?」でした。オーロラの体力温存のためかもですが、ベースにやはり
男性ダンサー同士の絡み、誘惑の図への憧憬みたいなのがあるのかな???と思いました。物語の必然性という意味では、オーロラが見え隠れのほうがわかりやすいですからねえ。なぜ、わざわざ妖精が出張るのか。一番肝心なトコ……、も、なぜか妖精が持っていきますし。
という一連の考察が、私にとっては、中秋の待ち人だったのかもしれません。
(お、話が戻りました!)
というわけで、「ロマンティックで美しい夢の世界へようこそ」仕掛けに落ち着くのでしょうね。
よし、これで私も世間並。でも、拍手はするけれど、スタンディングは出来ないなあ(まだ言っている)。