本日のノルマ、終了。

終わる気がしませんでしたが、なんとか終わりました。ホッ!

微熱が本当に苦しくて、でも、きょうが満月だから、ここまでかな?とは
うっすら思っていました。

スピリチュアルを許した。

言い方が変ですが、そんな感じです。

まあ、前からちょっと、傾向はあったわけですよ。
「そんな気がするよ」とか、
「なんとなく、ダメだと思う」とか。
まあ、媽祖様と会話したりね、猫とコミュニケーションを取ろうとしたり、いろいろおかしいんだけど(笑)。

20代の終わりだったでしょうか、30代初めだったでしょうか。
大変無礼な自称・霊感の持ち主にマジマジと顔を見られて、
「霊感ないのに、占いやるなんて、大変だね」と言われたことがあります。
その段階で、相手のレベルは推してしかるべし。
だって、どんな人にも霊感はあるもの。それをどう使うかの違いだもの。

私は、幽霊は見えない、あるいは、見ないで済ませる人生なのだと思います。
そこは、厳重にブロックがかかっていて、用事がありません。

たまに気配は感じます。いわくつきの場所に行ったとき。
でも、それは、私が禁忌を犯したというだけのこと。本来は、見ないで済むように守られているのだと感じます。

代わりに、生きている人間に対して、もしかしたら、動物に対しても、
感度が高い気がします。会ったことがなくても、人柄をつかんだり、
言いそうなことがわかったりする……、これは、特化した使い方なのでしょう。

でも、みなさん、何か使っているんですよ。自覚しているかどうは、別にして。

アガスティアの葉のリーディングをするインド人には、部屋に入った瞬間に、
「スピリチュアルな仕事をしているでしょ」と言われたことがあります。
当時、「占いは書いているけれど、スピリチュアルじゃないんだけどなあ」って思っていて。

そもそも、認識が変なんですが(笑)。

イベントをやるようになって、それまで、避けていた卜占を取り入れるようになり、
アストロダイス、カルマカード、タロットカード、ルノルマンカードとどんどん増えていき、
案外、外さないことにも気づいてきました。

ホロスコープを見ると、物語が浮かびます。

さあ、もう諦めれば?

認めちゃえよ。ってところです。

そういえば、4年くらい前に、「第三の目は、半開きだね」って言われたこともあり、半開きというのが面白すぎて、記憶に残っているのですが、さて、今はどうなったのでしょう?
案外、バッチリ閉じていたりして。いや、ありえますね。

占いは、私の仕事なのでしょう。
食べていくという意味でもあり、役割として果たすべき責任という意味でもあり。

ただ、自分の中の回路みたいなものは、肯定しますが、足は大地につけたまま、行きたいと願います。
フワフワ宙を浮くなんて、まっぴらさ。

ジオマンシーは、天候が悪い日は、「エレメンツが怒っている」から占ってはいけないそうです。
この表現も、シェイクスピアを思い出させて、もうロマンでいっぱいになりました。
今朝は、ジオマンシー占いに「ご機嫌いかが?」とお伺いを立てたら、
「フォーチュナ・メジャー」、大吉、つまり、「上々」と戻り、うれしくなりました。
桐矢先生にご報告したら、「それはやったことがなかった」と笑われてしまいましたが。

感覚的に、精霊のお友達が出来た気分なんですね。
お友達、おこがましいか。精霊と知り合いになった……みたいな?

微熱から復活した章月綾乃、さて、どこに向かうのでしょうね?

でも、心の中にあるものは、ずっと同じなのかもしれません。
妖精さんと会ってみたいと思い、魔法を信じた子供がまだ健在なのです。
大地に足をつけて、しっかり暮らそうと思います。心は、自由に飛ばすけれどね。

 

 

 

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