父が死んでから、母がやけに信心深くなりました。
お盆のお迎えをするようになり、いちいち声がかかります。昨日は、それでした。
遠い昔の怒号の記憶に、「辛気臭い、仏壇なんか置くな」がありますから、父に仏壇はいらないはずなのに、もはや弔いが母の生きがいのひとつです。求めてないのに、やらなくては気が済まないからやるの図。
母が死んだら、どうしましょうかね?
また、その時に考えましょう。
おかげさまで、母は体は元気ですが、話がぐるぐるループします。最近の話かと思って聞けば、父が登場したりして。よきものは、父が全部持っていってしまい、いまはもうあちらとこちらの狭間にいて。元来の身勝手さ、思い込みの強さも際立ちます。鏡を見ているようで、つらいですよ(笑)。
「忙しくて、ごめんね」と言うと、「私も忙しくて。英会話に体操にヨガに」と自分探しのOLみたいなことを言い、張り合ってきます。
人生の後半は、苦き味わいが増え、背負うもの、ままならないことに縛られます。まあ、それでも、進まないと! ね。