『レイディ・マクベス』

全然チケットが取れなくて。
ぴあカードも入ったのに、その後の手続きを忘れて「あれ、そういえば、申し込みどうしたっけ?」と気づいたら、抽選が終わっていたという大失態。
まあ、大人なんてそんなもんです。

一般売りも全然取れない。もう見なくていいかもって思ったけど、
京都に入れたら、惨敗。なんじゃ、こりゃー?で(まあ、無理もない)

「行けそうなタイミングで、キャンセル待ち狙うか」で、なぜか滑り込めました。
あくまでも公演前半の感じですが、10枚ちょいは出しているっぽい。
でも、これって主催の良心ですよね。さっさと売ってしまったほうが管理がラクでも、ちゃんと見れない、取れない人への配慮が出来ている!

ありがたく、見せていただいたのですが。

んー、一幕で帰ろうかと思いました。仕事、詰まっているので。

なんだろうなあ、台本が安いんだと思いますね。
見ていて、「いつ?」「ここはどこ?」「何の話?」がさっぱりわからない。
で、シェイクスピア踏襲しているけれど、観念的な現代劇で。
主演はともあれ、アダム・クーパーさん、これ、よく受けたな、という印象。日本の俳優さんで全然いいじゃん。

チケ難だから、「取れた以上、最後まで見なさい」と自分に言い聞かせて踏み止まったけれど、話の始まりから終わりまで「で?」なんですよね。
もともと、マクベス夫人って、あのワンシーンだからいいわけですよ。

「いくら洗っても、血が取れない」みたいなやつ。
旦那焚きつけて、王位簒奪をしたあげく、罪悪感に悩まされる感じが心に残るわけ。
全編、野心で、話のオチがない。

ベニサンピットでやりそうな……、
脚本が悪いのか、翻訳に品がないのか。
その辺はよくわからないけれど、ああそうですかの世界で。

舞台美術は大変シンプルで美しく、ラストシーンも含めてステキでした。
ただ、衣装がなー。
冒頭の天海さん、なぜ、ボリュームスリーブなのでしょうねえ?
シンプルに研ぎ澄まされているから、そこだけ意味がわからない。
白で映えさせたい狙いはよくわかるけれど、
なぜに、あの媚びたデザインなんだろう???

王様のガウンは大変象徴的、有効で素晴らしかったのですが、
あれだけ、シンプルな世界だと、「このデザインの意味は?」と考えてしまいますからね。
いくら考えても、わからない。
軍人でもない、母でもない、妻でもない、何アピール???

”三人の魔女”に男を入れるなよとか、はいはい、女が産み落とした者じゃないココに仕込むなよとか、本当に細かい所がイライラしちゃうんですよね。やっぱ、本がよくない気がしますね。
冒頭の「Bカップの胸を25分」の品のなさにも、うんざりしたし、正直、あそこで振り落とされていましたねえ(遠い目、ちなみに物語の冒頭です)

まあ、でも、コロナ禍の中での『マーキュリーファー』ほど、見ていて病まなかったからいいのだ。あれから、演劇ノーサンキューなんですよねえ。ひどい話だわ。

演劇って、本来、時代を映すものだと思っているので。
本当に今やるなよ!だけが残ってしまい、今やるしかないレパートリーシステム、興行の構造にすっかり夢が見れなくなっていて。
事情はわかるけれど、閉塞感でいっぱいの世界に、絶望を刷り込んで何の意味があったんだろう?だし、レディマクベスも、スタイリッシュでしたが、この話から得られる物は?で、「?」で終わっちゃう。
二幕のアダム・クーパーさんの戴冠のシーンは、ゾッとするほど美しかったけれど、チケット取れないなら、見なくてもよかったねと思いながら帰ってきました。辛口でごめんなさいね。


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2023年10月6日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃