お母さんと一緒2

母の認知症、悪化から二回目の「見守り番」の日。

「買い物に行こう」「はま寿司へ行こう」
「行かないよ」「行けないよ」
「私の車で行こう」
「車は売っちゃったし、免許はないでしょう? 私は免許持っていないよ?」の
攻防に疲れ果て、ふと、母は退屈しているのではないかと思いまして。

可能ならば、母の家で見守りつつ、仕事をする、
母が希望するなら、日帰り温泉くらい連れていく、の心積もりでいきました。

早く出たつもりが、到着は9時となって、「こりゃ、スーパー行っちゃったかしら?」と思ってドキドキしながらインターホンを鳴らすと、母がいました。
「お母さん、ちゃんといるじゃん」と言ったら、
「待ってたよ」と自慢げ。

でも、これは、後ほど、お隣の奥様が「買い物に行くには早すぎますよ」と声をかけてくださったと判明します。まあ、いいか。
この隣人のご好意で、何の用事もない日に少し離れた公民館に車で連れていってもらい、弟が大焦りで追いかけたら、別の知人の車に乗って帰ってきたという
世界は愛で満ちているね事件もありました。空振りの弟、お疲れ。

母を取り巻く環境は、優しいです。しばしば、人の好意に救われます。

今日、判明したこと。母の家は、マイカーがないと陸の孤島。
母の家に行くためのコミュニティバスは、2時間に1本。
必死に9時に着いたとしても、次に移動できるのは、11時です。
10時台のバスもあるにはあるけれど、めっちゃ遠回りで1時間バスに乗らないといけない。ホント、大嫌い。

少し離れたバス停で、1時間に1本程度のやつに乗って、
バス、電車、バス、ランチ、温泉施設の送迎バス、温泉実質10分、母は飲み、私はかき氷タイム、温泉施設の送迎バス、電車、モノレールと乗り継ぎまくり、
なんとか同居弟にバトンタッチ。
このハードな乗り継ぎについてくる82歳に驚嘆します。
さすがに、帰りは全タクシーにするか迷いました。
が、一万弱かかると試算され、これはないなあと。

家に帰って鞄の中に入っていたペットボトル4本の中身を捨てました。
2本は私のなんだけど、落ち着いて中身を飲む時間がないし、
「これはいらないな」を廃棄する心の余裕もないわけ。

「温泉行くなら着替えも必要」と言い張るので、母のバッグに無理やり詰め込んでみたのですが、道中邪魔そうにします。まあ、無理もないか。仕方なく、引き取り、もう私のバックは巨大な要塞のようになっていました。
モバイルWi-Fiにモバイルバッテリー、ポメラに、AirTag関連一式、さらに、朝食兼お昼のパンいっぱい。朝が早過ぎて、パン屋にしか寄れなくて。
スキマがあれば、仕事したいから、めちゃくちゃ荷物が増えます。軽い地獄。

満を持して用意したAirTag ってば、母の家の周りでは、ざっくりしか反応しません。なぜに、路上に落ちたままなのだ? 現在地とのズレが500メートルくらいあります。
なるほどー、iPhoneユーザーがいないのかー!!!
これは、ちょっとした落とし穴。くそ田舎めー!!!
まあ、でも、自分が近づけば、それがステーション代わりになるかもしれません。ならないかもしれん。次はなんだ? 見守りGPSか?

ちょいちょい悪態が入るのをお許しください。

本日の私、3大フレーズ
「お母さん、いかないで」
「お財布は閉まって!」
「切符は私が持っているから」

認知症あるあるでしょうね。やれやれでございます。
こんなん、山ほど相手にしている介護のお仕事に従事されている方を尊敬しますよ。不毛なやり取りに消耗し、心を持って行かれないようにある程度流すうちに、自分がわからなくなってきて、そりゃ、厭世観募りますよね。

仕事の詰まり方が本当にヤバいんですが!!! 頑張ります!
頑張りましょう。ご同輩! 

ホント、寿命伸ばさなくていい。あほみたいだ。さっさと天寿で完了しましょうよ。
母の時間は終わっていると感じます。
ここから先のタームって、何のためにあるのかなー?
死生観を深めるため?
子供時代の苦い思い出を反芻させるため? まったくわからん。

つまんない映画のPLAN75、もっと突っ込んで作れば、大名作だったのになーってよく思います。何歳で線引きにするのかを検証するだけでも、意義がありますよね。

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2024年7月10日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃