アート、神社と笙、占いと猫

ここ10年を振り返ったら、道なき道を歩いている気分でしたが、
ご縁を手繰り寄せて今に至っていることに気づきます。

庭園美術館でみた「鹿の窓」が忘れがたく、
ルイス・C・ティファニー美術館が出来ていると気づいて、出雲行きを決めて。
同年、三回出雲に行っているみたいで。美保、諏訪、東国三社巡りとかやっていて。

神社本庁に入ってみたいというミーハーな気持ちでプライベート雅楽講座を受けて、笙を習う流れになって。家の事情で離れているうちに、先生が亡くなってしまって。でも、まあ、易を習い始めて、そっちが大変だったから、戻れなかったというよりも、戻らなかったのですね。音楽の才能、ないしなー。

そうこうするうちに、スピリチュアルのドアを開けたら、その先に、つくだ煮みたいにスピな人がいて。
スピリチュアル、基本は、惑わされてる人が多くて。
選民意識を持っている人は、ダメだなって思います。
俺ってすごくね? 私、特別じゃない?みたいなやつ。一緒にいるだけで、こちらが苦しくなっていきます。

大きな神社、有名な神社は、土地の人たちのもので。
この東の果ての土地、日本に渡来したタイミングで、民族争いがあって、
それが神話化されているだけのことで。
そんなに頑張ってお参りしなくていいと気づいて。行かなくなりました。
ああ、色情にまみれた友人がツテを持っていて神官になり、私はなれそうになもないと気づいたのも、「なんだかなー」で離れるきっかけでしたね。きっと今頃は、「あのころ」みたいに昔話になっていると思いますが。
神社が好きすぎて、一時期ちょっとおかしかったですね。

入れ替わるように猫が来て。
媽祖様のお導きで、鍼に通い、仕事が増えて。
易も始めて、破門になって、今に至るわけですが。

母の認知症きっかけで、子供の頃の「おま、いいかげんにしろよ?」な怒りが湧き、制御して。
ざっくり言えば、家庭内暴力な父がいて、母は被害者ヅラしていたのですが、
後年、「いや、父を煽っていたのは、母だな」と気づいてしまって。
自分がヒロインになるために、彼女は、父の圧政を強調し、子供たちを味方につけて。
でも、同性だから、そういうカラクリ、気づいちゃうじゃないですか。
私は、実家に戻るだけで、「父が弟を殺してしまった」という悪夢を見るのですが、母は父と別れる気なんてさっぱりなかった。親である前に、女でしたね。

という心の闇が出てきて、今度は、ここ10年、20年の棚卸し。
なんでしょう、これ。私、死ぬの? そろそろ???

まあ、面白かったです。
心残りは、猫たちを見送れないこと。いなくなって寂しいは、私の役割にしたい。
あと、人生後半も、自分の物語を書きたいなと思います。
なんかそっちに流れが動いている気がしますけれどね。
スペイン、フランス、中国にも行ってみたいなあ。中国は茶で、チャンスがありそうなんだけど。

毎回思うのは、ハマると、パンッと扉があくことですね。
お茶も今年の立春からスタートの割には、「あれ?」なくらい材料が揃っていて。なかなかおもしろいです。ま、うっかり死んじゃっても、「章月さんだからねえ」で。猫たちを頼みます。それだけ!

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2024年7月17日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃