たましい、抜ける

なんだか力が入りません。
んー、たぶん、弟が母を見限ったというのが、悲しいのでしょうね。

自分はとっくのとうに、母を切り捨てているくせに、
身勝手な話です。

だって、奇跡みたいだったんですよ。

30代、一時的に実家に身を寄せた時期があって、
その時、同居弟が父に殺される夢を見て、
「ああ、ここにはいられない」と思い、家を出ました。

でも、家庭内暴力男だった父が死んだとき、私の夢の中で殺されていた弟が一人、泣いていて。びっくりしたのです。

今回も、同居していない組は「もう無理だから、プロに委ねよう」と
夏の終わり位から言っていて。
でも、同居弟が「いや、もう少し頑張れる」と粘っていたわけです。

この年末年始で、限界が来た。

いや、生物として正しい。
逆に、今までどうやって耐えていたのだ?です。

そういう「無理もない」の部分と
「そうだよね、お母さんとは暮らせないよね」という残酷な現実と
まだ折り合いがつけられずにいます。

誤解しないでいただきたいのは、これは、感傷の記録で。
理性は、「よくやった」なんですよ。理想的じゃないでしょうか?
見学の翌日に預かっていただけるなんて! しかも、結構よさげな施設です。

子供の頃、母は、ずっと被害者で、守ってあげたい、
助けてあげたい存在でした。

でも、大人になって同性だから気づいてしまって。
「ああ、短気で堪え性のない父親を煽っているのは、この人だった」と。
世界がひっくり返った気がしました。
あるいは、父も被害者だったかもしれないのです。

また、たぶん、一生許さない言葉もあります。
占いの最初の本を出版していただけたとき、親戚がみんなホメてくれたのに、
母だけは「私は納得していない。書きたかったのは、戯曲で占いではないはずだ」と言ったこと。

あなたは、私に何をしてくれたのでしょうか?
大学には行かせない、弟が二人いるんだから、行っては困ると、早々から人の可能性を潰し、私が戯曲の道をあきらめたのは、演劇系の大学に行っていないと、
スタッフワークがしにくかったせい。学歴必要だと思いました。演劇を学ばないと戯曲家になるには、いろいろ足らなくて。

必死で切り開いた道、食べていかれる仕事で書籍を出せて、
「ここまでこれた」の段階で、恨みがましく因縁をつけてきたこと、一生許さないと思います。まあ、本人は忘れていますよ。間違いない。
一度も私の舞台を見に来たことがないくせに、何を言っているのだ?
書籍を出せるようになるまでにも、7年の下積み、数年の仕事の積み重ねがあってこそ。全然食べていけないところを今の旦那に助けられつつ、なんとか形にしたのに。なに、その言いぐさ! 私が母を見切ったのは、おそらくあの時です。

私は母を好きじゃない。実家からは離れていたい。
父は嫌いだったけれど、母のことも好きにはなれない。
でも、産み、育ててもらったことは確かだから、娘としての義務は果たすつもり。
この負の感情、弟たちも同じかと思ったら、ちょっと違って。
違うんだ、面白いと思っていたら、「あれ、結局、ゴールは一緒か」の不思議な着地に気持ちがついていきません。

まあ、完璧な親子なんてないですよね。
そして、介護に正解はない。たらればもない。

本当に、煽り癖があるんですよね。

あと話が長い。自分の思いを全部伝えないと気が済まないから、
「お母さん、結論から話してくれる?」と言っても、「きょう、トースト食べて」あたりから全部語らないとダメ。

親を見ていて、結婚したくない。子供も欲しくない。
子供の愛し方がわからない。と思っていて。
うちは、毒親だったけれど。そういうのも、もうすぐ終わる。

好きじゃないけれど、「寝る度に、シーツのあまりにイライラする」ような思いはさせたくない。この辺りが、私の面白いところですね。愛情のかたち。

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2025年1月13日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃