昨日は、歯をくいしばり、金属のブリッジを噛み砕いたようです(笑)。
夜中に、口の中に硬いものが現れ、なんだ?と思ったら、歯の金具! マジか!昨日は趣里さん演じる寧子が、鵺みたいに見えて。かつて私の友人たち。救いたくて、助けたくて、力及ばず、今は生きてるんだか死んでるんだか、わからない人たちの顔がいっぱい浮かびました。
映画版「生きているだけで、愛」は、精神を病んで、不安定な女がゴシップ雑誌の記者に拾われ、三年、同棲し、過眠や躁鬱を悪化させ、関係破綻に向かうだけの話です。
登場人物は、記者のサイドは、編集部のみ。ここは、殺伐としてますが、まあ、あんなもんでしょ。
寧子のまわりは、記者の元カノ、こちらは粘着、執着系のメンヘラちゃん、元カノ行きつけのカフェバーの偽善者オーナー夫妻、そこで、うっかり立ち直った元引きこもりのウエイトレス。あとSNSだけで、姿は現さないお姉ちゃん、以上!
記者の属性は、諦め。日々の仕事、人間関係全般を省エネでこなしています。
一方、寧子は、制御がきかないエネルギー体で、懸命。元カノの病んだ提案、「立ち直り、彼のもとから姿を消して、私に返しなさい。その手段として、行きつけの店で働きなさい」に、しがみつきます。
行きつけの店のオーナー夫妻は、無自覚な偽善者。うっかり引きこもりちゃんの社会復帰に成功しちゃったから、気をよくし、次の誰かの恩人になれるチャンスを逃しません。
でも、元・引きこもりちゃんの「みんな、ココ続かないんだよね」に、意外に風刺は効いているんですよね。常連客である粘着系・元カノのボトル、勝手に飲んじゃうし。善人面してますが、いやー、ろくでもない。倫理観は破綻。
みんな、違うベクトルで病んでいて、みんな、自分の枠に人をハメようとして、誰一人、心の病を治療や公の保護につなげようとせず、寧子は繰り返し壁にぶつかり、やがて、バイト先の精神的なシェルターだった(つらくなると、勤務中も籠っていた)トイレをぶっ壊したあげく、全裸で街を疾走します。
あげく、「生きているだけで、つらい、苦しい、自分から逃げられない」とほざきますよ、この病み女は。
これ、小説なら、成立しますよね。痛みを持って迫ってきます。彼女を取り囲む悪魔的な善意、追い詰める良識、上辺だけの優しさ、苦しさが、ジワジワ胸に迫ると思います。
自分でもわからない、本気じゃない態度、その場しのぎの言葉はわかるんだよ、ちゃんと向き合って、私を見て。
このあたりに、共感が生まれるはず。
だけど、映画だと視覚化するプロセスがある分、醒めます。現実的な手を打ちたくなります。
なんだ、この低能集団は?
だから、映画館を出る、が正解でした。
が、ミニシアター、端の席、最後までいるしかない、で、イライライライライライラしてたら、歯をくいしばっていたらしく、ブリッジを噛み砕いていたという!
もー、んな、オチ、つけなくていいのに、ね。
私のまわりは、病んでいました。育った家庭がまず、DV、軽度のネグレクト。だから、いじめも被害者の立場で経験したし、友人が現れてから、依存もしました。
が、依存した相手もまた、壊れていて(笑)。まー、いろいろありましたね。20代くらいまでは、不安定なお年頃なこともあり、病み病みシリーズでした。
30代は、バランスを取るために、宝塚にハマり、お気に入りの子の退団で、やっと現実に復帰しました。
40代は、仕事が形になってきたから、ようやく土台が出来てきたのかも? このあたりから、いわゆる壊れた人たちと離れた気がします。
病んだ人にまとわりつかれるのは、自分が病んでいるからなんですよね。心が壊れると本能で動くから、かなり動物的になり、たいてい同じ匂いを嗅ぎ取り、「わかってくれるよね」で、すり寄ってきます。同類なんですよ。
過日のバカバカしいオカルト映画で、ユリゲラー氏が、「僕はスプーン曲げの先のレベルにいる」とおっしゃってましたが、私も、心を病んだ人に振り回されるレベルの先にいます。
心の病としたら、サリンジャーの戦争体験のフラッシュバックのほうが深刻で、キツイはず。それだって、立ち直れる人がいるわけですから。
私を助けて、私に気づいて、本気で向き合って、居場所が欲しい、肥大した醜悪な自意識。自覚し、自立出来なきゃ、破滅するだけ。人を巻きこまず、ひとりで決着をつけなさいよ。
みんな、病んでるし、おかしい。でも、責任取りながら、つじつまを合わせ、生きていくしかなく。
んな、「分かり合えたのは、一瞬だった」女優泣き、じゃなくてさ(笑)。客観的な視点で映画を作るなら、「その後、寧子は消えた、死んだ、堕ちた」まで拾わないと。ハッピーエンディングが、閉鎖病棟への見舞い、くらいの話でしょ? これ。ブラック落としなら、「風俗で稼いでいる」みたいなのも、アリかもだけど。いくら躁鬱病でも、全裸で街を疾走するのは、治療が必要な症例ですよ。ま、いいんだけどさ。
さすが二世なのか、原作にないのか、よくわからないけれど、あれだけ、ぶっ壊れていて、「体でつながる」をしないのは、どういったクリーンさなのでしょうね? 不特定多数の男と寝る、みたいな展開が一番ありそうだけど。
昨日は「うわー、口直しがしたかった」、「ちゃんと吉祥寺でハシゴでチケットを取れば、こんなにイヤじゃなかったのに」って思ったけれど、こうやって、めっちゃ自分の中に落として、消化する必要があったのかもしれません。
遠くは、小学校のころの同級生のFっこ、中学のときの同級生のM子ちゃん、高校時代、バイトで知り合ったSちゃん、離婚でぶっ壊れたM、事故か自殺かわからないまま死んだ友人、精神病で保護を受けているMちゃん、名前も覚えていない一時期親しかった人たち……。彼らは、みんな、私の一部で。M、多いな。あはは。私も、本名、Mですけれどね。あはは。