何を大事にするのか。

昨日、もう日付が変わってしまったのですが、
2つのお茶席におじゃまして、ひとつわかったことがあります。

“お茶”というカテゴリーでも、かかわり方はそれぞれだなと。
まあ、“占い”でも、“映画”でも、なんでもそうなのでしょうけれど。

最初の茶席は、「型」に魅せられた人のおもてなしでした。
青を基調としていて、美しい。

ただ、友人の目の前に直火がありました。
遠くから見ていて、とても危なっかしく感じました。
熱くない? 大丈夫???

なぜ、お客様の目の前に“火”があっていいと思うのか。
そこが、私にはわからない。
私の席は、足場がナナメで油断すると、簡易な椅子が倒れそうになります。
同様に、隣の席の見知らぬ人は、手荷物を置く場所がなくて、ずっとバッグと上着を手に持っています。見かねて、「上着、私のカバンの上に置きます?」でお預かりをしました。私のカバンも割と新しいけれど、地面に直置きすることに。もう仕方がない。

「型」の面白さはあったけれど、空間的な危うさが気になってしまって。

ふたつめの茶席は、空間が広々していて、
やっぱり荷物置き場なんてないのですが、こちらは、お茶に魅せられた人の茶席でした。マニアックなこだわりが強すぎて面白い。

そして、印象的だったのは、「安定の10分オーバー」と言いながら、
まだ、茶器にお湯を注ぐこと。
特別に作られたお茶だから売っていないのに、「まあ、飲んで行って」みたいな世界。

私はお茶の専門家にはなれないでしょう。
でも、お茶の専門家さんたちが選んでくれたお茶を買って飲む人にはなれると思います。わずか2ヶ月くらいで、いろいろ集め過ぎて、茶箪笥買うくらいのめり込みますからね。あほだなあ。

お茶を愛する方々が大事に育てたお茶をいただく。
感謝と尊敬で、人を見る、人を感じる、人を置く。
ご一緒できる時間が奇跡だと思うのです。そのために、いろいろ揃えます。

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2024年6月3日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃