母のこと

昨日、半日、母と一緒にいたのですが、
小さかったころの理不尽への怒りが湧きあがってきてしまい、
こりゃダメだと思いました。

一日三回、買い物に行ってしまう母を
弟たちは「心配」「止めなきゃ」と言うのですが、
私は「いくら止めても行く言うんだから、行かせればいいよ」と思ってしまいます。

これ、心のずーっと奥深くにくすぶっている
「私だって、放置子だったよね?」があるみたいですね。
という気づき!

変質者にイタズラされたりとか、階段から落ちたりとか、
幼稚園も保育園も行かせてもらえなかったとか。
父も母もいなかったじゃない。

炎天下、買い物に行くなとずっと止めているのに、
「買い物に行く」と言い張り、そのあげく、重いからって
神社に荷物を置いてきてしまう人に、何も感じられない。
ふーん、そうしたいなら、どうぞ。
親が育てように、子は育つのですよ。

でも、弟たちは、「なんとかしなきゃ」と動いています。
同じ兄弟なのに、おかしい。なぜ、立派なのだ、君たちは。

「買い物に行くの、やめよう」に対し、
「うるせえよ」と怒鳴られ、
「うるさくないよ」と怒鳴り返し、
疲労困憊で帰宅し、仕事が焦げ付き……。

「好きにさせりゃいいよ」が私の結論で。
弟に「スーパーの人に迷惑がかかるし、何をやっているんだって話だと思う」と諭されました。なぜ、立派なのだ? 

ま、ちょっと考えます。考えても、答え出ないかもだけど。
母も寂しいかもしれないけれど、
子供時代、私たちも寂しかった。孤独の重さ、同等な気がする。

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2024年6月25日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃