誰にでも起こること。

三鷹の殺人事件のインパクトがすごくて。

うっかり画像を見てしまい、眠れなくなりました。

確かに、彼女は、軽率だったかもしれないです。
でも、あれは、誰にでも起こりうることですよね。
恋って、若さって、そういうものでしょう。
みんな、多かれ少なかれ、あぶなかっしい綱渡りをしています。
関係が変化する、殺意に変わる恐れがあるなんて、円満なときには考えもしません。

そして、時代がどんどんお手軽になっていって。
気軽に画像を撮れるし、送れるし、刺激がいっぱいだし……。

無理もないって、思っちゃうんですよ。
自覚が足らない、奔放すぎる、まあ、それも確かに。
でも、私が彼女の身内だったとしても、教えられたでしょうか?
それは、非常に危険なことだよって。
愛は、憎しみにも変化するかもしれないよって。

そんなこと、いちいち言うわけないし、恋愛まっしぐらの10代、20代に、仮に言っても届かないでしょう。

怖かったね、大変だったね。ちょっとだけ、しくじっちゃったね。

ご遺族の方の喪失感、ご心労は、どんなに深いでしょう。
マスコミの報道とネット上の拡散で、もうぐじゃぐじゃですよね。

でも、コレ、誰にでも起こりうることですよ。
だから、本当はきちんと伝えたほうがいいと思うのです。
ただ、被害者の尊厳にもかかわりますから。
非常にデリケートで、難しい問題ですね。

今の時代、誰にでも似たようなことが起こりうると思うのです。
で、それが問題になってしまったとき、羞恥心で屈するよりも、強く突っぱねていくことが
大事だと感じます。今回は、そんな選択肢もなかったわけですけれど。

加害者に対しても、どうしてそっちに行っちゃった?があります。
違う道が、あったはずなのに。
愛していたのに、殺めて、貶めて……。
全部壊して。自分のしてしまったことの意味に、いつか気づくでしょうか?

ねえ、あなたたち、私の半分も生きていないですよ?
やるせないというか、いかにも、いまどきというか。

我が子を守るってことが、すごく難しい時代になっちゃいましたね。
子供いないんですけれど、本当に、切ないです。

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