鈍感人生vs敏感人生

鈍感な人と敏感な人、どっちがいいですか?

いきなり、引き合わせたら、お互いに反発しますよね。
「なんで乱暴な!」
「バカみたいに細かい」

で、仲良くなれれば、適材適所でうまく助け合えます。
合わないと、「あいつ、ヤなやつ」で終了します。

まあ、それだけのことです。
考え方や感じ方、人生の処世術があまりにも違うのですから、合わなくて当然、合えば奇跡、それくらいでいいんじゃないでしょうかね?
で、自分が鈍感タイプなら、「鈍感サイコー!」って思っていればいいし、
逆に、敏感タイプなら、「敏感こそ、我が人生!」って謳歌すればいいんじゃないかと。

だって、どっちも完璧じゃないし。
どっちも、偏っているし。

ある部分は鈍感だけど、ひとつの分野に関しては非常に細かくうるさいとか、
逆に、すごく過敏だけど、人に対しては鷹揚とか、もう人の数ほどパターンがあると思うのです。

行き違いやトラブルが起こっても、それはそれで。当たり前で。
そのとき、どっちが悪いとかは、ないと思うんですよね。

鈍感さんにとっては、敏感さんがイライラのモトになったとか、
敏感さんにとって、鈍感さんは許せなかったという組み合わせがあるだけで、もうそれは仕方がなくて。

簡単に言えば、何も直さなくてよくて。だって、ただのめぐりあわせですから。
鈍感だから、トラブルになる、逆に、ならずに済む。
敏感だから、トラブルになる、逆に、ならずに済む。
両方ありますよね?
もう役割の違いとしか言いようがないですよ。

鈍感な人は鈍感力で世界を動かしていき、敏感な人は敏感力で、世界を動かしていくのです。

学ぶべきことがあるとすれば、「こういうときは、ちょっと気を付けたほうがいいのかもしれないな」という気づきだったり、「あまり目くじら立てないで、ドンと構えたほうが周りが楽だな」っていう発見だったり、でも、それは、テクニックみたいなものですから、本質を変える必要なんてないんですよね。

ということを、最近、ぼんやり考えたりしておるのですよ。ハイ。

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