「嫌い」という感情

あっけなく、ダウンしました。
先週、がんばりすぎたせいでしょうか?

眠いのに、2時間くらいしかもたなくて、睡眠が細切れになります。
約2日休んで、やっと長く眠れるようになり、きょうは今から笙のお稽古に参ります。
体力、気力を消耗していて、出かけに楽譜を探す始末です。最近、またさぼっていて、先生に合わせる顔がありません。まあ、それでも、行けば多少の進歩はあるかと、むりやり出発です。本音をいえば、きょうは寝ていたいです。

占いでいえば、寝ていたい、さぼりたいが、月のベクトル。
行かないといけないが、太陽のベクトル。
きょうは、太陽が勝ちました。

体調が悪いと、テンションも下がりますよね。悪いことばかり考えるし、後悔ばかり浮かぶし……。夢見もよろしくありません。

で、落ちた気分の中で考えたのですが、やはり相性ってあるんですよね。
好きだけど、疲れるとか、合わないとか。
ある人に「それは、その人のことが嫌いなんですよ」と言われましたが、嫌いではないです。私は、嫌いという感情を知っています。

昔、大好きだった友達がいて、彼女のことは、親友と呼んでも良かったと思います。しかし、いろいろあって、最後に会ったとき、私は彼女がそこにいるという理由だけで、お世話になった方のお通夜の席を中座しました。そして、翌日、喪主の方に出席を約束したお葬式にも行きませんでした。
理由は、簡単です。不義理をしても、帰りたかったのです。お葬式をパスしても、もう一緒にいられなかったのです。
顔を合わせるまで、自分がそんなに彼女を嫌っていた事実に気づきませんでした。びっくりしました、我ながら。

激しい拒絶、理性ではコントロールできない嫌悪感、それが、嫌うということです。なんとなく疲れる、合わないなんて、軽い軽い。
私は、疲れる人とも、談笑できますし、合わない人とも、仲良くできます。しかし、嫌うと、ダメですね。次の瞬間に、消えています。
こういうことを書くと、「ブラック章月」とか言われちゃうんですが、でも、影がないと、光もわからないですしね。深みがあったほうがいいですよ。

20代、30代は、不自由でした。もちろん、10代も。
そのときの人間関係だけが、すべてのように感じてしまって。
今は、楽です。選べるし、いずれ変わっていく前提で、人と一緒にいますから。

必要があるから出会い、必要があるから一緒にいて、必要がなくなれば、自然に離れていきます。
さらに、自分の意思で、選ぶこともできます。

基本的に、来るもの拒まずですが、最近は、浅く広くでもいいような気がしています。
浅く広く、とりあえず、知り合い、また、生きる波長があったときに、親しくなればいいような気がするのです。
ずっと仲良くなくていいのです。

出来ることなら、お互いによいところを引き出す関係でいたいですね。
あの人といると、グチばかり……みたいなのは、時間がもったいない気がしますね。
いろんなアイデアが出て、次の約束が生まれるような関係がいいなあと思うのです。

相性がいいと、お互いいいところが引き出されますが、悪いとネガティブさが出てしまい、離れたあとも「なんであのとき、あんなこと言ってしまったんだろう」とか後悔する羽目になります。あれは、なんなんでしょうね。軽い自己嫌悪に陥ります。

簡単にいえば、調子が狂うのかもしれません。
この狂い、放置すると、あんまりよくない気がしますね〜。

発熱には、浄化作用があり、だから、風邪やインフルエンザなんかも悪いことばかりじゃないのですが。
2日寝て、やっと狂いが取れてきた気がします。

そうそう、私は、「練って」、「溜める」んでした。すぐ、忘れちゃいます。流されやすいのです。

では、いまから笙を吹いて、また、清らかな流れに戻そうと思います。いってきます!

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