新盆

父の新盆で、お坊さんがやってくるの巻でございます。
血縁が薄いと言うか、不信心というか、家族そろって知識がないから
さあ、たいへんです。

座布団が並んでいる関係で、うっかり下座にお通ししてしまい、
途中で「あ、すみません。下座でした」と申し上げたら、
「気づかれたからいいんですよ」と笑われてしまいました。

う、気に障っていたのか!!!

また、あまりに予定がたてこみ過ぎて、とにかく、体を届けることだけしか
考えていないんですね。このところ。
で、「あー、数珠を忘れたぁ」としたら、
「仏様をわしづかみにするようなものです」と教えていただきました。

お墓参りのときも、持って行かないといけないんですって。
「ということは、今回、お迎えのときも、わしづかみで呼んだということですね」で
「そうですね」となりました。あらあら、すまないよ。父よ。

また、遠回しに普段着も怒られた気がします。
私は黒っぽい格好でしたが、胸元ビジューがついているし!
母も黒っぽい格好でしたが、インナーは黄色だし!

普段なら青くなるところですが、なんというのですかね、疲れすぎていて、
感受性が鈍っているため、「怒られちった」くらいで終了です。
母が檀家にはならないと言っているので、葬儀屋さん手配のパートタイムの
お坊さんにいらしていただいているのですが、なんというか、そのあたりの
温度差もすごいです。
今回は、ハッキリおっしゃってくださる方で、いろいろ勉強になりました。

しかし、蝋燭の火が消えるからと、エアコンを止められたのはキツかったです。
あまりにも突然すぎて、窓を開けるスキがなく、小一時間死ぬかと思いました。
義妹も「こうやって、熱中症になるのかな?って思った」って言うので、
ちょっと笑っちゃいました。考えていることは同じデスね。

「仏(ぶつ)のことは、不浄というのがそもそも間違いで」とお坊さんが
おっしゃいますが、葬式仏教にしてしまったのは、長い歴史が生み出した
集金システムに元凶があるわけで。

「仏様は、燈明のあかりしか見えないといいます」
この設定も、正直なんだろう???でございます。
燈明のあかりしか見えないよって言われたら、不案内な世界だから、
「そうなんだ」と信じて、本当に見えなっちゃいますよね。
でも、死って、本当にそういう感じなのかしら?
こればっかりは、自分が死んでみないとわからないので、答えは保留です。

ともあれ、父の死以降、母がやけに信心深くなったというか、
しきたりだの、家紋だの、原点回帰をしているのですが、そもそも、そんなに
格式ばった家なのだろうか? 格式ばった父だっただろうか?という
素朴な疑問と戦いつつ、親孝行のつもりでつきあっております。
生前の父は、家に仏壇を置くことも気にくわず、さんざんケンカしていたのに、
なぜこんなに手厚く葬られているのでしょう? まあ、母がやりたいことなのかな?
なら、檀家になればいいのに……っていろいろ矛盾を感じております。

うちの父は、まわりの人間の徳を高めるために生まれてきたような人だったのだと
思っております。
亡くなった人を悪く言うのは、日本の文化にないのでやめておきますが。
常々感じているのですが、どうも母には、父に対して特別なフィルターがかかっているように
思えます。世間では、それを恋と呼ぶのかもしれません。

と、お坊さんと私たち、母と私の間に温度差を生みつつ、なんとか新盆を迎えまして。
母が「お墓に送りに行くのは1人でもいい」って言っているから、本当はつきそうべきなのでしょうが
もうパツンパツンでどこにも入りません。同居している弟が行ってくれないかなあ? 来週だったら
つきあえるのですが、そういうものではありませんね。

帰宅してから急ぎ仕事を一本こなして、やっと眠れました。
今朝起きて、コーヒーを入れようとしたら、切れているし。
昨日、ご飯食べようとしたら、野菜しかないし。
納豆が食べたかったのに!

日常がほころびていて、泣きたくなります。
ひとつずつ、整理して、少しずつ、まともな人間に近づきたいと思います。

 

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