加速する日常

見えないターボエンジン搭載とか、まあ、何かあるんだと思います。
睡眠時間は伸びましたが、何かと予定が入りやすく、「お休み」って感じになりません。
それとも、これが「お休み」なのでしょうか?

昨日、義実家に顔を出したら、お盆に来なかったことを責められました。
えっと、うち、新盆だったって忘れています???
言えばやりこめられたでしょうけれど、そこは、沈黙を選びまして。
ただ、耳を疑うようなことも言われました。
「だから、年寄り二人で暮らすなんて無理だと思わない?」
じゃあ、土地を離れるのですか?
まさか引っ越して来いとはいいませんよね?

義実家ドリームがありまして。
子供たちは、親の快適のために生きるものだという。
たとえば、旅行の帰りには、子供が駅に迎えに来て当然というのもあります。
同い年の義妹がいるのですが、もう嫁いで子供もいるのにですよ。
そこは、タクシーではダメなんですかね?

実際問題、舅と姑だけの暮らしは、危なっかしいことは確かなのですけれど、
同居なんてうまくいくわけがありません。
毎週のように、離れた場所に暮らす息子が顔を出して何かと気にかけてくれる
暮らし、季節ごとにどこかに連れ出してくれて、日ごろの疲れをいたわってくれる
暮らしを夢見ているようですが、それならば、まず、そういう風に育てなければ
いけなかったんじゃないかなー?と思います。
あなたたちの息子さん、相当な面倒くさがりで不出来なヨメがおしりたたかないと
実家に行こうとしませんよ?
不出来ヨメ、これでも必死で「ホラいくよ」と仕向けているんですよ?
やっと確保した「なにもない日曜日」を「ずっとやりたい家の掃除」を棚上げして
義実家孝行にあてる誠意を買って欲しいところですが、
まったく値段がつきません。むしろ、キズを責められます(涙)。

思えば、結婚したお祝いも何ももらってないんですけれど。
そりゃ、結婚式はやりたくなくてやらなかったけれど、それで出鼻をくじかれたのか、
一切、お祝いなしでしたねえ。
近所の中華屋で、ご飯奢ってもらったくらいでしょうか?
それだって、ちっちゃっかった姪に泣かれてだいなしでしたが。
親戚へのお披露目は会ったこともない親族の葬儀の席となるので、
結婚式はやったほうがいいですよ。
面倒くさくても、お金がかかっても、目立つのがキライでも。経験からそう思います。
喪服着て、挨拶まわりとかないから! 相当イヤですから。
若い時は思い至りませんでした。

時代が違えば、石女とか言われて離縁されるか、認めてもらえないか。
そういうレベルのことを平気でしていて、生活の便宜のために手元に置きたがるのです。

まあ、わかりやすいからいいんですけれどね。
義実家のドリームは、昔の日本のドリームかもしれません。

いまどきは、結婚しない人も多いし、40代後半になっても親がかりとか、ザラですし。
家族の在り方、雇用形態、社会の形が変わっていて、全体像がボヤけたまま、
目先の生活に背一杯で。

世界は世界で加速して、戦争とか、革命とか、キナくさい感じになっています。
ホントはひとつなぎなんですけれど、どうも遮断されていて、意図的に報道されないとか、
知らなくていいことは知らせないとか、知らないことを知らないでいると情弱とか、なんだか
もう生き辛いったらありません。

やれることをやればいいんじゃないですかね?
とりあえず、7月は義実家に顔を出したってことで、自分的には合格です。
それ以上言われても、キャパオーバーだし、仮に義実家ドリームをかなえたところで、
不平不満が今以上に爆発することは火を見るよりも明らかです。

舅や姑を見ていると、自分の住む場所が世界の中心みたいな意識があることがわかります。
それは、ハタ迷惑な発想ではあるのですが、個人を確立するのには、これ以上の安定は
ありません。
自分のいる場所が世界の中心。
多くの現代人が心からそう感じることが出来たら、たくさんの不安が消えるのではないでしょうか?
同時に、他者との協調とか、融合が難しくなるという一面はあるのですけれど。

義実家は海と暮らしていて、そこに人生がありまして。
きっと、多くの物語はいらないんですよね。海と風とおてんとうさまと。

さて、私も私の人生の中心を自分のいる場所に戻しますか。月曜日です。

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