去年、松飾が取れた後で、父が亡くなりました。このため、まだ、喪中なんですよぉぉぉ。
いやね、2013年の暮れに、「いいかげん年賀状作らなくちゃ」と思ったときに、
「早くて年内、持って10日」と医師から言われてしまいました。
それから、作れます? 作れませんよね?
結局、2014年は、年賀状をいただいた方に寒中見舞いを返す形になりました。
昨年末に、2015年はどうしたもんだろうと悩みましてね。
「寒中見舞い出したのに、欠礼ハガキ変じゃない?」とか思ったり、
「もうほぼ一年だから、年賀状でいいんじゃない?」とか考えたり、
「仕事先だけでも、年賀状かなあ」と頭を悩ませたりしました。
そこへ、輝かしい「私は出さないよ。年賀状は辞めました」とかの助言が来たりして……。
結局、一周忌があって、「年賀状じゃないなあ」で、でも、「じゃあ、寒中見舞いか」って
ところに落ち着きました。
寒中見舞いに何か書くのも変なので、印刷したものをポストに入れて終了です。
かえって無礼じゃないかという説もございます。ホント、すみません。
パソコンと外付けHDの調子がダメで、データがぐちゃぐちゃになっているため、
古い住所に送ってしまって戻ってきてしまったものもあります。すみません。
いろいろ、不手際が多いのですが、来年には正常化されるのではないかと思います。
なので、「ごめん、喪中だと知らなくて」みたいなのは、全然お気遣いなく!でございます。
「私は出さないよ。年賀状は辞めました」
これは、結構、心が傾きました。年賀状を出さない!
そういう選択は、潔い気もいたします。
が、ですね、その直後に、参加させていただいたイベントの講師の先生から
手書きのお礼状が届きまして。
これも、心が動きました。なんてマメな! なんて、美しい!
潔さにも惹かれますが、私は、美しさを目指そうと思ったのです。
でも、実力も気力も根性もないので、印刷でポイッでございました。ああ、なんて中途半端な!
ホント、かえって失礼って気もしますが、どうぞ、お許しくださいませ。
届いていない場合もありますが、こちらも、どうぞ、お許しくださいませ。来年は必ず!(鬼、笑った?)
話は変わりますが、この喪中というのは、本当にクセ者でして。
去年一年、持っていかれた気がします。人生の軸みたいなのが、実家にあるのです。
でも、私の生きる場所はそこではありませんから、重心を取るのが大変です。
いろいろなことが重なって、手が回らなくて、旦那には叱られる始末です。
「そんなにたくさんのことは出来ないだろう!」と。
世間一般と違い、悲しさはないのですけれど、でも、完全に喪中ですね。
もうすぐ明けるので、そしたら、神社さんに行くぞーでございます。
神道では、もっと早くお参りしていいならわしになっていると思いますが、感覚的に
穢れなんです。なんでしょうね、この感覚。
きょうは、ちょっと、見えないヴェールが薄くなって、「もうすぐ、終わりだよ」って感じです。
去年のいまごろは、毎日病院でしたねえ。ものすごく遠くて、数年前のことのように感じます。
旧暦新年を迎えるころには、もろもろ整い、すっきりしていると予想します。
昨年のセルフチャレンジ、366日の誕生日占いも、無事に終わって、
お誕生会も、あと残すところ、2回です。
この冬は、少しオフモードで、のんびりと軸を自分に戻してやっていかれればなと思います。
お正月は、半分病人でしたからねえ(笑)。1日活動したら、1日休むの繰り返し、
昨日、ちょっと頑張ったので、きょうは半日休んで、半日活動です。
久しぶりに笙も吹きました。
昔、暗譜した部分を思い出し出し……。なんだか忘れていた物語を辿るような
懐かしさがいっぱいでした。
私の時間が戻ってきました。嬉しいです。
みなさまも、よいお仕事始めを。もう午後ですけれどね。
もしも、お身内にご病気の方がいらっしゃるようでしたら、ご無理なく。
そして、喪中の方も、ゆっくりと。無理は効かない時期なのだと体験から学べてよかったです。