断酒会の家族会へ

引き潮

 

雨の朝、ノルマをこなしに海へ。だいたい往復で、一万歩です。ウォーキング4日目、少し歩くのに慣れてきたかな?な感じ。

昨日から部屋の掃除をしていまして、帰宅してから、また、片付けました。まだまだかかります。

午後から母につきそい、断酒会の家族会へ。千葉県で第一回目らしいですが、みなさん、ベテランさんで圧倒されました。アルコール依存症は、簡単には治らないと見えてきます。

参加すれば、持ち帰れるものも多いのですが、いかんせん、私は間接的な立場なんですよね。同居しているわけではないので。で、本質が物書きですから、取材モードになっちゃうというか。なんかね、そういう場所じゃないんですよ。もっと真摯で、後がないところを必死につないでいる感じがするんです。

私、ここにいていいのかなあ?が、きょうの壁でした。

依存症患者と巻き込まれた家族の閉じられた世界があり、当事者にならなければわからないことがたくさんあると感じました。奇妙な話ですが、リアルに起こっている問題として聞くよりも、死んだ父へのわだかまりに置き換えたほうが何倍も共感できます。

私も男性不信だったし、結婚に懐疑的だったし、子育てなんて絶対無理と思っていました。両親を見て。私が育った家庭には、アルコールという問題があり、それは、私や兄弟に暗い影を落としてきましたが、困ったことに、うちの母には、深刻な問題があったという自覚がないのです。

お父さんのほうが、酷かったよね?

しかし、人生の終わりに近い母を責めたてるわけにもいきませんし、よそさまも多かれ少なかれ、なんかしら問題はあると理解していますし、さらに、基本的には、すべて承知し、消化しているつもりですが、それでも、家族会に参加しますと、「捻じれの根は、子供時代にあるよなあ」と感じてしまうのです。が、母には、直接何度も話していますが、同じ話でも断酒会や家族会のミーティングの話題にするのは、さすがに酷だと感じます。

こりゃ、アダルトチルドレンの自助グループに入り、まず、吐き出すべきかもしれません。

子供時代に不安と恐怖で捻じれ、成長過程で客観化が果たせないと、いい大人になってからも、人生をコントロールしきれなくなるのでしょう。もう人のせいにできる年ではありませんが、一応原因は探り、対処法を見つけることで、自分と折り合いをつけていくしかないのだと感じます。

原因が家庭にあったとしても、親を責めたてるのは、また違う子供返りですから、自分で再構築していくしかないですよね。

依存症は、とても根深く、一生つきあう病気なのだと再認識します。

ただ、家族会に参加すると、ひとつだけわかります。みなさん、依存症患者さんを大事に思っていると。死んでほしくない、立ち直って欲しい、一緒に生きたいんです。

あ、書いていたら、ちょっとわかりました。

この先、私が断酒会や家族会に行くなら、一人で参加しましょう。そうじゃないと、不遜な感じになっちゃいます。関係者の中に、関係者外が紛れ込んだような、変な感じ。もっとがっつり参加するか、手を引くか、ふたつにひとつだとわかった気がします。

 

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