昨日は、セルリアンのベロビストの眺望で終わってしまって、それじゃ、
あんまりなので、もう少し書きます。
個人的によかったもの。
・ローレンス・アルマ=タデマの作品群
・アーサー・ハッカーの≪ベラジアとフィラモン≫
・ジェイムズ・ハミルトン・ハイ≪流れ星≫
・ジョージ・フレディック・ワッツ≪プシュケ≫
・バーン=ジョーンス≪眠れる騎士たち≫習作
バーン=ジョーンズの≪レバノンの花嫁≫は、まあ、よくもまあ、こんな構図を思いつくもんだと感心しました。が、まあ、好き嫌いで言ったら、どっちでもいい感じ。 もし、私がバーン=ジョーンズに依頼して、この絵が上がってきたら、口では「ありがとう、ありがとう。傑作」と言いながら、内心「なんだろう、これ?」かもしれません。でも、不可思議な螺旋に、だんだん引き込まれるかな?
ミレイは、ミレイだけど、別にどってことなくて。ウォーターハウスも、「ああ、これってこんな感じなんだー」でしたね。ライティングの問題なのかもですが。ロセッティも、また、どってことなく。相変わらず、この人の絵は、男顔だよなあで終了です。
こうした有名どころが個人的にまったく響かないあたり、なんだろうなあですね。
「夏目漱石の美術世界展」のときのミレイとか、ウォーターハウスのほうが、いかにもで好きでした。まあ、作品としての著名度が違いますが。
去年のギャラリー森アーツ センターのときの「ラファエル前派展」も、それほど
響かなかったので、本当はラファエル前派、私、好きじゃないのかしら?
いや、そんなことはないと思うのですが。
作品のモチーフとして面白かったのは、フレディリック・レイトン≪エレジー≫。エレジーとは、誰かを失ったしたときの喪失の痛みという意味らしいのですが、もし、このモデルの女性が目の前にいても、私はかかわりになりたくないなあと勝手に思っていて、それが自分で面白かったです。誰かが悲しんでいるのに、助けたくない、その人の精神にかかわりたくないというのは、自分らしくないせい。でも、用事がないなあ。嫌いというか、苦手だなあ。美人だけど。
エドワード・ジョン・ポインター≪テラスにて≫
アルバート・ジョセフ・ムーア≪夏の夜≫
このあたりは、健やかでゴージャスで、キレイ。なんだかいかにも。オリエンタル趣味でいいです。
ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ≪楽園追放≫と
ハーバード・ジェイムス・ドレイバー≪イカロス哀悼≫ は、
金色が鮮やかです。ゴージャス。目の保養。
ともあれ、今回は、「ラファエル前派、風景画うまいなあ」くらいの感じでした。
そして、「三菱一号の『バーン=ジョーンズ展』は贅沢だったんだなあ」と再認識しましたよ。
で、この前の「風景画の誕生」に比べ、今回、結構手抜き企画じゃないかなって気もしちゃいました。
前回、時禱書って何? 時禱書を知りたい!って思わせてくれた同じ美術館とは思えないほど、なんか細かいところが投げっぱなしです。最後の映像資料も、「こんなの流して何になるんだい?」なへんてこ編集。まあ、借り物なのでしょうが。趣味に走った美術館の紹介映像なんて時間のムダですよぉぉ。所蔵作品ではなく、子供の手とか女の人の背中とか映しても、「行きたい」なんて思わないから! なんでアレでいいと思ったんでしょう? 本国では、「普通に撮ったら、古臭くて響かないから、映像に凝ろう」かもしれませんが、日本の美術展でわざわざ流すほどの映像じゃない気がしますよ。関連講座がないのは、このジャンルの専門の学芸員さんがいらっしゃらないせいかもですが、せめて映像は、編集してもいいんじゃないかなと。展示のワンコーナーに過ぎない時禱書であれだけ語ったなら、ラファエル前派について語ってもいいじゃないか。聞く耳の用意はありますよぉぉぉ。
本当にバカップルのデートコースで、「離れろ。バカもの」、鑑賞でイライラしたのもありますが、もうこういうのは、こちらの運が悪いとしか言えないので。だいたい、絵画見ながらくっついているカップルなんて、そう長続きするわけないですからねえ。ホント、迷惑です。でも、まあ、絵に興味がなくても、「なんかキレイだからデートで見ようか」の人がいるのは、それは企画展として成功なのかもしれません。まあ、いいですよ。諦めます。
図録で、今回一番気に入ったアーサー・ハッカーの≪ベラジアとフィラモン≫ にハゲタカが描かれていることを知りました。
ちゃんと確かめに行きたいなあって思うので、1月の平日、適当にまた行くかもしれません。感想がガラッと変わったら、「ああ、本当に美術館の混雑がニガテなんだね」ってことでお許しくださいませ。