魔女の秘密展

昨日は、ダイソーのお仕事でご一緒したまつもとめいこさんの2人展「星の絵展2」からスタートしました。
西荻窪のMADO、かわいいギャラリーでした。
なーんて、さも十分に鑑賞したように見えますが、実際の滞在時間はわずか3分。
西荻窪に19分に着き、ギャラリーに顔を出して、35分の中央線に乗ったので、
「それ、かえって失礼では?」でございました。

なぜ、そんな顛末になったのかといえば、急ぎ仕事がわんさかあって、深夜と朝で頑張って
なんとか体を電車に突っ込んだのですが、なにも考えずに中央線に乗ったら、どうやら特快だったみたいで、
ふっと気づいたら、国分寺で「あれ???」でした。仕方ないから戻ることにして。
でも、次の待ち合わせが複数の方とのお約束で、ズラすわけにはいかず……。
なんとか頑張って、魔女の秘密展に10分遅刻で参上しました。

が、ここも連絡がぐちゃぐちゃで、魔女の秘密展の会場で会うつもりでいたら、相手はラフォーレの下で待っていたり、
もう何がなんだかで。結構グッタリしましたよ。

で、魔女の秘密展です。

んーとね、覚悟を決めていたので、予想よりも「大丈夫」でした。
ただ、なんか感想が「悪いもの、見ちゃった」な領域から抜けないのが困りものです。
インパクトが強すぎるんですよね。
薬用とされていた人間のミイラとか、切り落とされた手、ホルマリン漬けの双頭の猫、はく製にされた双頭の子牛などなど。
ブラックというか、ホラーというか。

拷問器具も、きっとほんの一部なのでしょうけれど、人間が人間に対してこれほどひどいことを
行えるというのが、なんだかもう、そこで思考が止まってしまって。

ちゃんと向き合おうと決めて音声ガイドを借りたのですが、意外にキャプションがしっかりしていて、
いるかいらないかなら、いらないかも。ただ、最後に鏡リュウジさんの呪文がついてきます。
あ、あと、ちょっと救いになるようなナレーションもありました。ただ、ナレーションの問題提起のように、
その後を考えると、また、思考が止まってしまうのですが。
意味がちょっとわからなかったのは、イヤホンガイドに「黒猫バージョン」と「白猫バージョン」があったことでしょうか?
そこ、出し惜しみする必要あるのかなあ?
黒猫のほうが、ダークな内容ということですが、ほぼキャプションを読めば事足りるので、
佐々木蔵之介さんの声が大好きとか、鏡先生の呪文が知りたい以外では、まあ、あってもなくても。
結構、「読む」が多いため、イヤホンガイドは邪魔でした。

Twitterでどなたかがつぶやいていましたが、内容が相当あっちなのに、ファミリー向けの解説がついていて、
それがなんだか本当にシュールで。ただ、あの子供向けの解説が、救いになっている側面もあります。

ただ、巡回展の良さで、大阪とは展示の順番を変えた気配があります。友人に聞いて、「そりゃ困るね」が、
「あれ? これ、最初に来ているんだ」で、わりと自然に回れました。

これ、人に勧めるかどうか、かなり微妙です。
視える同伴者さんによると、会場はスッキリしているけれど、魔女の遺品のあたりはちょっと……とのこと。
世界で唯一といわれている魔女のシャツが展示されているのですが、私もそこでじっと立ち止まってしまいました。
どんな思いで、このシャツが残されたのか。

おそらく、血を洗い流し、世間の目から隠すように保管され、守れなかったこと、助けてあげれなかったことを
悔いながら、大事に大事に残されたものだと思うのです。
愛する人の血を吸ったシャツを、どんな思いで引き取ってきたのか。
ああ、きっと、埋葬する前に着替えさせたのでしょうね。魔女にされる前のお気に入りの服に。
かつて平和で、幸せだったころの服に。

でも、説明によれば、全身の毛を剃られ、香を焚きしめられ、聖水で清められて、火あぶりだけは免れたとのこと。
火あぶりにならなかったから、シャツが残って。
ご遺族は、どんな思いで、着替えさせたのか。変わり果てた大事な人の体をどんな気持ちで受け取ったのか。

二度と復活しないように炭になるまで焼かれたという他の犠牲者と比較すると、扱いは格段に違います。
扱いが違うということは、みんな薄々わかっていたわけでしょう。あの人は、魔女じゃないと。
魔女じゃないとわかっていたのに、葬るしかない。

図書館で借りた「魔女の文明史」安田喜憲編に「現代も、イスラムに対して魔女狩りめいた気配を感じる」みたいな
一文がありました。2004年の本です。
魔法くくりの視点を外せば、異端を排除する心理は、私たちの中にしっかりあって。

この企画展、私はそれほどオススメはしません。正直な気持ちを言えば、「悪いものを見ちゃった」なので。
でも、オススメはしませんが、もし、あなたが気になるならば、ぜひ確かめに行くべきです。
きっと、ご覧になった方の数だけ、何か感じるものがあり、残るものがあり、それが、未来への警鐘として機能するならば、
魔女排斥の犠牲を未来に伝えようとした人々が報われると思うのです。

目を背けたいけれど、背けてはいけない。
ただ、その闇は大きすぎて、重すぎて、そして、非人間的な行為とわかっているのに、また、同じ過ちを繰り返す可能性が
十分にあって。おそらく、日常の中にも、いじめはあるし、意地悪はあるし、排斥や仲間外れはあって。

災いを誰かのせいにしたい心理。
コミュニティーを一色で塗り固めたい心理。
自分と違う人を受け入れられない心理。

それは、そう遠い感情ではありません。

人と妬む気持ち。邪魔者を排除したい気持ち。

それが、大義と結びつき、正義になってしまったとき、魔女とされた人たちへ向けられた残酷さ、残忍さが
また、復権する可能性があって。

また、違う側面も興味深く。
それは、絵師たちによって作られた魔女像です。

誘惑の力があるため、魔女たちは、妖艶に描かれます。
妖艶で、魅惑的で、だからこそ、悪で。
女性が誘惑に弱いから、悪魔につけこまれ、魔女になったのだとしたら、
女性たちを魔女に変えてしまった悪魔が見せた幻想はどうなのでしょうね?
そこは、醜悪に描かれていて。

男性たちに「女性の美しさ、色香に惑わされてはいけない」と警告するならば、
女性にも「こんな誘惑には注意しなさい」みたいな警告の絵があってもおかしくないのに。
悪魔が提供する快楽に溺れる図ばかりで。

世界にはあるのかしら?
たぶん、ないんじゃないかしら?

魔女展、気になるならば……。
私は、一回で十分です。でも、見ずに済ませるのと、見るのとでは……。
見てよかったと思います。

 

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