以前からぼんやり感じていて、最近、「あ、そうか!」と考えがちょっとまとまったことがあります。
庶民の中にも、姫がいるんですよね。
まず、絶対の自信。
そこから派生する吸引力。
なぜか逆らえない。なぜか特別。
だから、誰も何も言えません。
姫キャラに生まれると、お得が多い人生になります。だって、みんな、道を空けてくれますから。
異性の扱いも、もちろん最上級です。
前から「うむ、ここに格差があるぞ」、「身分の違いがあるぞ」とぼんやり感じていたのですが。
最近、あー!と気づいたことがありまして。
それは、「徳」です。姫キャラ、徳が欠けると、ダメ姫になります。
たとえば、先代が亡くなって代行で城を任せられたけれど、姫ならうまく守り切り、なんなら発展させますが、
ダメ姫、あっけなく城を明け渡すことになります。
もっとも、土地や富、家来を奪われるだけ、あるいは、その辺が圧政に苦しむだけで、
本人はケロリンパで、一生姫キャラなんですけれど。
たいていの場合、「姫」っていう自覚がなく、姫を行使していますからねえ。
徳がなくて、自覚している場合もありますよねえ。なんだかよくわからないけれど、やけに自信たっぷりで
えばっているコ。いいなあ、このコ、人生、楽だろうなあと思うんですが。まあ、間違いなく、嫌われていますよね。
そういう乱用タイプは。
でも、一番よいのは、姫を自覚し、同時に背負うべき責任や謙虚さも兼ね備えたタイプですよ。
本当は、姫って、キャラじゃなくて、役割だと思うので。
かくいう私はなんだろうなあって考えて。
まあ、ジャンルは使用人なんですけれど、なんとなく、近衛兵あたりでしょうかね?
姫や主君に対して忠誠を誓い、彼らに危害が及ばないように常に気を配っている感じ。
必要とあらば、ご注進とかもしていそう。
で、結構、民衆に肩入れしちゃっているの。あはは、それじゃ、オスカルだよ。そっちゃじゃないよ。
そういう役目とか、傾向とか、行動パターン、考え方の違い、本当にいろいろあって、
大事なのは、それに飲み込まれないことですよね。
たとえば、奴隷として生きていても、脱走することも出来るし、能力を磨いて出世することもできます。
そういう与えられた場所から飛び出す力、発展させるパワーが、その人が生きる意味だと感じるのですけれど。
今、並行で読んでいる本の中に「無意識の整え方」という一冊があり、これが微妙にかゆいところに手が届かない、
「もうちょっとつっこんでよ!」って思っちゃう仕上がりなのですけれど。
でも、ヒントはいっぱい散りばめられています。
その中の著者の前野隆司さんの一言が、特にひっかかって残っています。
「意識がこんなに邪魔をするのは、もしかしたら、女王アリと働きアリがわかれているように、
持てる能力を制限することで、社会での役割分担をしているのではないかと思うんです。
全員が女王になったら困るから、あえて自分を小さくするように、人は出来ているのではないかと」P62
でも、これからは、その制限をかけている部分を解放していってみたらいいんじゃないか的に話が続き、
ブチッと切れちゃうんですけれど(笑)。
え、そこ? そこで、切る? そこ、知りたいよー!な仕上がりでございます。
まあ、気になるなら、自分で深めなさい的スタンツなんでしょうね。
この前野先生の仮説は、非常に腑に落ちます。
そういうことかもしれないなあと感じます。
生まれたときに役割みたいなのを選んでいて、それが、実際に生きることで修正をかけられていきます。
その過程の中で、役割に押しつぶされてしまう人もいれば、まっとうする人もいて。
でも、役割を超えることも出来るんじゃないかって、最近強く思うのです。
ひとつの手掛かりは、占いで。
別の手掛かりは、心のブロックが関係する気がしますね。心の傷、説明が出来ない不安や恐怖心。
そのあたり、丁寧にほどいていけば、もっと自由に生きられる気がします。
まだ、最後の章を読んでいないので、楽しみながら進みたいと思います。
パラ読みしたら、「病というのは、自分にとって親身になってくれる先生のようなものだ」という抜き書きも
あります。あー、そうそう、そうなの、そういうこと、私もよく感じますよ!
人生は、必要なときに、必要なものが来るように出来ているのでしょう。
やっぱり、読書は大事。人の知性に触れて、整理が出来ます。最終章も楽しみです。