「ボルドー展 -美と陶酔の都へ」へ

最初に、自首します。
ミュージアムショップで、フルボトルワインを買いました。

ボルドー展

いや、これは、買いますよ。買っちゃいますって! 図録買わずに、ワイン買っちゃいますよ(笑)。

初手からアプローチが違います。西洋美術館では、通常企画展のスペースに向かうと、左に流しますが、今回は、右に降りていきます。ん? なんだ、この演出は?

降りて見るとわかります。
星の海みたい!
いや、ハードル上げすぎちゃうといけませんが、展示ケースのライトが、キラキラで、本当にそう見えたんです。

ライトが照らすのは、様々な「むかし」。25000年前のヴィーナスに、意図的に川に沈められた剣。早世した我が子のためのかわいらしい墓碑。

まあ、導入の映像から狙いすぎで、ボルドーワイン、フランスとイギリスの100年戦争のきっかけとなった王妃の恋、ボルドーワイン、月の港という異称、ボルドーワインなわけですが、もう終わるころには、頭がワインになっちゃうわけですよ。なんだ、このすごすぎるプロモーション!

目玉のドラクロワに行きつくまでに、ヘロヘロになります。ロマンチック過ぎて!
さらに、ルドンにゴヤ、珍しいモネのイラストみたいなやつとか、いやもう、いちいち揺さぶられて、私、もうダメです。
ふらふら、ワインを買い求めて、美術館を後にしました。

迷っているあなた!
「行くのです!」
しかし、もれなく、ボルドーワインの洗脳に合います。喉が乾きます。
ダメ押しのワインのラベル展示まであるんですよ。もうボルドー市、ノリノリ過ぎるでしょ?

ドラクロワ、迫力でした。
ルドンの模写のおかげで、炎が飲み込んだ部分も想像できました。いやいや、しかし、すごすぎるプロモーションです。まんまとワイン買いましたが、悔いはありませんともさ

ボルドー展

 

ユトリロとヴァラドン

imageユトリロとヴァラドン〜母と子の物語展へ行きました。

image

伊勢丹スタート、西新宿は、意外に遠かったです。金曜だからか、美術館も混んでいました。

ヴァラドンは、再婚後のほうが私は好きです。ユトリロとヴァラドンの花の絵が並んでいたのが、良かったです。しかし、まさかユトリロの全裸を見られるとは! 画家を母に持つのは、大変なことですね。

グルちゃん

本日のグルちゃん。「無」。

さっき、昨日からの引っかかりが解消しました。

『シュザンヌ・ヴァラドン〜その愛と芸術』

シュザンヌ・ヴァラドン

でも、これ、やはり東郷青児美術館で買った記憶があるんですが。なぜ、今回なかったのかな???と思い、奥付見てわかった気がしました。

1998年初版

そりゃ、ないかも。

我が積ん読も、なかなかのラインラップでしょ?

「烽―とぶひ―展 憂国のアート、至誠なアート〔巻之一〕彫刻家 佐々木誠

一昨日、見損ねた個展へ行きました。

「『烽―とぶひ―展 憂国のアート、至誠なアート』〔巻之一〕彫刻家 佐々木誠

ちょうど、下で何かのロケをやっていて、出入りに苦労しました。

いや、予想以上に温かいし、かわいいです。佐々木誠さんの作品は、触れたくなる温かさがあります。かといって、素朴とも少し違う感じ。

狛犬さんが人気っぽかったですが、私は階段つきのお社が欲しいなあと思いました。

ギャラリーの田中さんと少しお話しをしました。「特に、神社や神道というわけではない」とのご説明は、腑に落ちます。しかし、長歌を拝読させていただいた感じから、真摯な信仰と姿勢は感じます。

次回のご案内をいただけるようお願いしていたら、ご本人がいらして、ありきたりのご挨拶をさせていただけました。ちょっと嬉しかったです。あの作品をこの方が!ですね。

外に出たら、まだロケはやっていておじさんが「あの汚いビルに行きたいんだ」と訴えていました。わはは、私も「あの汚いビル」から出てきましたよ。

で、また吸い込まれました。

ま、定番ですね。

 

ゆっくりし過ぎて、またもやダブルインパクトには、行けませんでした。あ、少し前から行きたくてジタバタしてます。ブリヂストンと迷いましたが、せっかく年パスあるし、時間もないので、帰りがけに三菱一号のナショナル・ギャラリー展を再訪しました。

思えば、前回、宮内庁の演奏会前に寄り、ルドンの複製画を買い、石が動いたのでした! 約三カ月ぶりの再訪。

ベルト・モリゾが引っかかりました。「姉が画家であることを強調した」ということは、彼女は姉に一緒に描いていて欲しかったんですよね。

こういう風に、ピッと引っかかる説明があると嬉しくなります。20分くらいで、さばさば流しました。

なんとも優雅な一日でした。

銀座で。

銀座で知り合いが二人展を開催し、きょうが最終日でした。さらに、iphoneのバッテリーが本気でダメで、アップルストアに行きたかったのです。プラス、教文館さんで、佐竹美保さんの原画展がやってます。銀座が、私を呼んでました。

が、アップルストア、舐めてました。

15時申し込みで、17時受付、作業終了20時です。T_T

17時までに、「ファンタジーを描く〜佐竹美保のダイアナ・ウィン・ジョーンズの世界〜」と臼木英之・亀井潤「幻幽譚」をこなしました。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、わりと読んでいますが、挿絵、こんなに真面目に見たのは、初めてです。原画展、楽しい! 『花の魔法、白のドラゴン』の草花飾りの絵が気に入りました。キレイ。

6階で関連書籍を買うと、佐竹美保さんのコメントカードもついてきます。平日だけのサービスだそうです。

「幻幽譚」は、お二人にご挨拶で完了です。ちょっと、橘小夢に通じる世界ですね。

それより、なにより驚いたのは、佐々木誠さんの個展を見つけちゃったことです。エレベーターの窓から狛犬が目につき、確かめに行ったら、佐々木誠さんのチラシでした。スサノオ展で、覚えたんです。私、すごくない?

しかし、火曜は休み、今週中に出直しです。

iphoneなしの約3時間は、キツかったです。サントリー美術館を考えましたが、18時までだし、ブリヂストン美術館は時間わかんないし(iphoneないし)、佐竹さんのあとでMATSUYAのミッフィーは違う気がしたし、映画もハンパだし。まあ、なんとか終わって、よかったです。伊東屋、ハンズ、ロフトと文具系で、頑張りました。

本日の教訓。

アップルストア、舐めたらいかん。

エレベーターの窓からも、「次のカギ」は見つかるよ。

しかし、今月は見ておきたい美術展が多すぎ、息切れ気味です。

《蝶の妖精》

すっかり、明るくなりました。
めずらしく、徹夜してしまいました。

気持ちが過去へ向かう日のようで、もうひとつ、思い出しました。
幸い、こちらは、手元に図録があります。えらいぞ、過去の私。
今はなき大丸ミュージアム「妖精の世界展」、1998年2月。

そこに、一体の人形が出ていて、ほれぼれと見惚れました。

図録もあるし、その数年後に出た人形の写真集も買ったのですが、
写真では伝わらない何があるんですよね。
今は、すごく好きだったことは思い出せるけれど、何に惹かれたのかは、
やはり遠い感覚になっています。

検索をかけてみたら、去年からホームページがあるようです。
まだ、お手元にあるのかしら?
17年の時を経て、見せていただけたらどんなに嬉しいでしょう。
岩切映幹子さんの《蝶の妖精》。
今見たら、どう感じるでしょう? 知りたいような、知りたくないような
なんだかどっちつかずの気持ちがあります。

まさか過去に見たもので、思い出がいっぱい蘇ってくるとは、
想像もしませんでした。
蝶の妖精は、バーン=ジョーンズの前だったかー。そっか。

ま、妖精だの、人魚だの、そっちの嗜好の人間ってことですよ。
原点に、毛皮のコートがいっぱい詰まった異界につながる
大きな洋服ダンスがあるんだから、仕方ないですね。

時間差《水妖》

橘小夢展から短い眠りを繰り返し、やっとひとつの思いが意識の上に浮かびあがってきました。

《水妖》は、人魚に蛇が絡みつく構図です。
これ、いずれも破滅への道ですよね。
人魚は力を奪われ、深海へ沈みますが、蛇はおそらく、地上の生き物でしょう。
どんな事情で絡みついたのか、そこはわかりませんが、海の中で、そうそう長くは生きられないはず。

似たような構図で、忘れがたいのは、《深海》。
エドワード・バーン=ジョーンズの作品です。

人魚が男性を海の底へ引きずりこむ図。
ぼんやりした記憶では、鎌倉で見たような気がするのですが、ネットで検索をかけると、
国立西洋美術館「ウィンスロップ・コレクション展」とひっかかってきます。
こちらも、行った記憶はあるのですが、詳細は思い出せません。

鎌倉の企画展は、非常に印象深かったのですが、記憶があいまいで、
ウォーターハウスの《嫉妬に燃えるキルケ》が出ていたのを思い出し、やっと辿れました。
1999年「水の物語—ヨーロッパ絵画にみる神話と象徴」神奈川県立近代美術館。
図録は、430円だったみたいです。買っておけよ、昔の私!

鎌倉に行ったのは、雨の日だったと記憶しています。
雨の日に水の物語を目指し、傘をさして歩いた記憶があります。
おそらく、荷物になるのがイヤで、買わなかったのだと思います。
当時は16年経っても忘れがたい企画展になるとは思いもしなかったのでしょう。
バカバカバカ、昔の私!

ウィンスロップ・コレクション展は、2002年の秋から冬にかけての公開だったようです。
1999年も、2002年も、もう遠いです。まあ、ごっちゃになっても仕方ないですね。
だいたいその辺りから、美術館に行くようになったので、その直前にあった
ラファエロ前派展は、見逃しているんですよね。

でも、《深海》って、違う和訳だったような?
これは、1994年の発行の画集でわかりました。《海の深淵》とあります。
そうそう、気持ち長めのタイトルでした。

話は橘小夢に戻ります。
《水妖》には、柔らかいふりがながふってあったけれど、なんだっけ?と
ずっと思い出せずにいたのですが、今、ふっと降りてきました。
そうそう、「すいよう」。

ただねー、こちらは初公開じゃないから、おそらく前にも見ているんですよね。
でも、それほど強く残っていなくて。
今回、妙に引っかかってくるのは、なぜでしょう?

深い海の底、沈んでいく2つの命。この辺に何か引っかかりがありそうです。

 

ピカソと20世紀美術展、橘小夢展

image

東京ステーションギャラリーの「ピカソと20世紀美術展」へ。ピカソ展と呼ぶにはボリューム不足ですが、キャプションが秀逸で、大変勉強になりました。だいたいの出自、師弟関係、代表作などが書いてあり、ふむふむと学びながら進みました。

ピカソがパリに来た1900年からの流れが追える仕掛けで、私は、フランシス・ベーコンで近代アートから振り落とされるとわかりました。だいぶ、美術史が整理された気がします。ありがとうございます。富山県立近代美術館さま。

クレーの《名誉毀損》、かわいかったです。かわいいは、失礼かもですが。

以前、国立新美術館でやっていたシュルレアリスム展は、「悪夢?」とおじけづき、20分で駆け抜けた記憶がありますが(もちろん私が苦手なだけですよ?)、きょうは流れでちゃんと見れました。

ポール・デルヴォー《夜の汽車》は、ハッとする位置にあり、見惚れました。2011年のときは、あまりに他のアクが強すぎて、理解を超え、ショートし、デルヴォーをオアシス扱いしたのを思い出しました。

そういえば、メレット・オッペンハイムの《リス》には、吹き出しました。確かに、リスです。

そのうちに、現代アートもわかるようになるかなあ? ま、わかんなきゃ、わからないでいいんですが。

そうそう、ピカソの青の時代がお友達の死をきっかけに始まったとか、美術をしっかり学んだ方には当たり前な情報も、私には「そうだったのか!」で新鮮なんです。だから、とてもためになる企画展でした。

わりと美術館には、足を運ぶほうだと思いますが、きちんと系統立てて学んだわけじゃないので、あちこち、抜けてるし、理解が及んでいないのです。でも、わからないなりに、数をこなすと、ぼんやりつながってくるのが面白いですね〜。

image

根津神社で友人と落ち合いました。まるでPVのような桜ふぶきを体験しました。ツツジ祭りで、境内は賑やかです。

image

弥生美術館へ行き、「橘小夢展」も見ました。人外を題材にしたものに痺れます。《水妖》は、人魚に蛇がからみます。どんだけ、ダメ押し?

《花魁》は、絢爛豪華。しかし、《地獄太夫》のほうが魅力的です。

《刺青》は、昔観た浅丘ルリ子さんの芝居を連想します。谷崎潤一郎や江戸川乱歩を読みたくなりますね〜。

《地から出る月》も、味わい深いです。しかし、陳列の様子から見ると、現存しているのが奇跡なんでしょうね。幻の美しさたち。

image

最終目的地は、谷中のザクロ。噂に違わぬ変なお店。しかし、妙に気に入り、再訪を誓いました。

『ボッティチェリとルネサンス』

先日のリベンジで、行ってきました。

贅沢です。テンペラの世界、受胎告知の大きさ、個人的には、フィオリーノ金貨からメディチ家へ、そして、ボッティチュリにアプローチする切り口も新鮮でした。

ボッティチェリの作品をもっと見たいと思いました。フィレンツェに行きたくなりました。《ビーナスの誕生》のビーナスだけのピックアップとか、なかなか貴重なものを見られた気がします。ボッティチュリの受胎告知のマリアは、アンニュイで魅力的です。

フランチェスコ・ボッティチーニ《幼児イエスを礼拝する聖母》も、キレイでしたね。しかし、この作品も含め、なぜ、聖母は軒並み美しいのに、幼子は、性格悪そうなんでしょう。以前から謎でしたが、また疑問を深めました。

工房作品とはいえ、後半の明らかな劣化も印象に残りました。美しいと、焼かれてしまうかしら? みんな、顔が伸びる呪いにかかってしまったみたい!

エドワード・バーン=ジョーンズが、唐突に出てきたのも、楽しかったです。

「へー、これを!」と、新鮮な気持ちで鑑賞しました。予定より長く美術館に居残ってしまい、うっかり笙の稽古に遅刻したのは内緒です。

ふられボッティチェリとマグリット

雨の中、ザミュージアムまで行きました。が、まさかの休館! びっくりしましたよ。ずーっと昔、「うちは休みません」的なことを言われたことがありまして。まったく疑わず、まんまと、空振りました。

ただ、結果的には、良かったかもしれません。最初から新国立に回るつもりでしたから、テイスト違いで、頭がぐじゃぐじゃになったかもしれないからです。

ともあれ、マグリット展です。約130点ものボリュームで、見応えはありましたが、「やはりあまり響かないな」と自分の好みを再確認しました。面白さや個性は感じますが、身体感覚に届きません。

ただ、ホームビデオは、良かったです。奥様の個性や品格が伝わり、彼女こそ、画家のミューズだと確信が持てるからです。子供のようにはしゃぎ、ときには、「あー、これがあの作品のあのポーズに!」みたいなシーンもあったりして。画家の頭の中で描かれたのではなく、奥様とのたわむれや共同作業から生まれた世界だとわかったのです。冗長で退屈なシーンもありますが、それ以上のきらめきを感じました。

帰宅して、2002年版の図録を見たところ、今回、出展数は多いのに物足らない気がした理由に気づきました。13年前に一番気に入った《誘惑者》や《光の帝国》が来てないせいでした。もちろん、バージョン違いを見られたのは嬉しかったですが、好きな作品との再会には別の喜びがありますよね。また、構成は前回のほうがアクが強い感じがします。今回は画風の変化がわかりやすく、初期の作品などがあり、新鮮でしたが。第一印象が強く、さらに記憶の改竄、過去の美化をさっぴいても、13年経っても「それほど、好きな画家じゃなあ」がブレないあたり、楽しくて。好きじゃないけど、たまにイイと感じる作品があり、なんだか気になり、無視出来ない画家の位置づけでしょうか。

しかし、13年前の図録が手元にあるのは、なんだか通っぽいですね。ま、いろいろ忘れていますから、「ただ、持っているだけ」です。ちなみに、13年前の会場は、Bunkamuraザミュージアムだったという事実も! きょうは、ザミュージアムにふられ、ザミュージアムを懐かしんでで終わりましたとさ。

アロマ酔い

昨日、いい気になって全身にセルフアロマオイルマッサージをしたせいで、
今朝はまったく起きられませんでした。
お昼近くなって、やっと「起きなきゃ」という感じ。
image

3月も最後の日だというのに、締まらない話です。

グエルチーノ展を見てから、ずっと考え続けていることがあります。

回顧展として一連の流れを眺めれば、後年になって円熟していくことがわかるのですが、
需要は落ちていきます。専門家の方々の評価はわかれているんですってね。
後年がいいという説、後年はダメだという説に。
私は、いいと感じるのですが。

イタリアを代表する画家でさえ、人気が落ちていくという現実があるわけです。
芸術に限らず、万事、そういうものなのかもしれません。

今の自分に出来ること、同時に求められること、しっかり考えていかないといけないと思っています。

image

明日から4月でひとつの区切りですが、まだ焦らずに見極めの時期だと思っています。
立ち止まれるのは、幸福なことです。
流されていくだけだけど、知らぬ間に自分が変化していることにも気づきません。
入院する前は、本も読めなかったし、スパで体をケアすることも忘れていました。
今は余裕がないから、今は忙しいからと、先延ばしにしているうちに、自分も引き伸ばされ、
なんだかわからないうちに変質してしまって。

私は、本を読む暮らしをしたいし、痛みを感じない健康な暮らしがしたいです。
そして、余裕が欲しいです。
人に優しく、寛容に。

パスキンが片時も休まずに絵を描いているように、私も誰に頼まれていないのに、
ブログは更新しています。書かずにはいられないし、本物になりたいと望んでいるし。
でも、本物ってなんなんだろうと。そこをちゃんと考えようと思うのです。
ピカソの名声や影響力に焦がれていたパスキン、自分で終わりを決めたパスキン、
でも、私に響くのは、ピカソよりもパスキンです。そういうことって、世の中にたくさんありますよね。
と、金曜日の詰め込みを未だに未消化でいるのでございます。とっちらかっているけれど、豊かです。