弱者の勝利

歴史は、勝者の記録です。

だから、勝った側に有利なように、事実が改ざんされていきます。

人間関係でも同様で、強い者、声の大きい人の主張が通ります。
当事者ではない人たちは、彼らが作った物語を信じます。

この前、お友達と会ったときに、知人の悪い噂を聞きました。
私は、知人の言い分を知っていたので、「それは、非常に一方的な話で、作られた物語かもしれません」と否定しておきました。
ただ、知人本人ではないため、詳しい話は出来ません。
「もう一段違う物語がありますから、その話はもう広げないでいただけるとありがたい」とお願いするのが精一杯でした。根が深すぎて。

こんな風に歪曲された物語が一人歩きしているのだと、愕然としました。
なんという悪意なのでしょう!
ずっと、これにさらされてきたなんて!!!
でも、同時に思いました。

強者が全力で潰そうとしても、潰しきれなかったということです。
これは、弱者の勝利ではないでしょうか?
生き残ること、次に伝えることが出来れば、歴史が見直され、伝説のメッキが剥がれるように、悪意を持った情報操作も、いつかボロが出るかもしれません。

噂話、聞けてよかったです。
教えてくれて、ありがとう。視野が広がりました。
私も、もうひとつの視点を持てました。
いつか自分が同じ目に合ったとしたら、そこでしぶとく粘れそうな気がします。

ひとつ前の日記でいえば、こっちの情報操作は、「わざと」ですねー。
他人事ですが、腹が立ちます。ひどい話です。

辛抱強く、一人歩きしている悪意を受け流してきた知人を尊敬します。
知人のお供は、正義と真実。
それだけあれば、虚栄と悪意に満ちた宮殿から追い出されても、いっそ、清々しく、幸せかもしれません。

わざとじゃない

最近、「難しい」、「厳しい」が、面白いと感じるようになりました。

ちょっと、説明が必要ですね。

難しさ、厳しさは、確かにそこにあるのですけれど、だからこそ、攻略の喜びがあるというか。 いや、基本は、「まいったなー」なんですけれど。
目下のテーマは、ネットでの自分の立ち位置、人間関係などでしょうか。
私の意識の先には、常に、「人」がいるのです。

昨日、開運会議の後に、出版社さんにお邪魔しました。
きょう、戻す初校が全部出ていなくて、後半部分をもらいにいってきました。たいていは、宅急便などで届くのですが、たまーに、「あ、じゃあ、寄りますよ」があります。
で、寄ってもらってきました。

そのとき、ちょこっと雑談して、しみじみ、「ああ、似たところに立っているなあ」と感じました。

本当は、些末なことに惑わされないスーパーマンになりたいのです。しかし、ひとつふたつならば、笑って済ませられることも、いくつも重なってくると、「もうやだー」ってなるもので。
「もうやだー」を言わずに、「大丈夫ですよ」、「構いませんよ」、「じゃあ、そっちに寄せましょう」と言い続けられる人間になるかどうか、今、試されているのです。

本音は、「もうやだー」なのですけれど、でも、「何事もなかったように」振舞っていけば、何事もなかったように収まっていきます。それが、人間の器なのかもしれません。

実際、「もうやだー」は、自分の感じ方の問題で、相手にはこれっぽっちも悪気はない可能性も高いのです。それぞれ、スイッチがありますから、たまたま、相手が知らずにそこを押してしまっただけで、別に他意はないというか。ここは、相性がありますね。
そこを見誤ると、すごく損をします。たいていの場合、悪意はありません。わざとじゃないのです。たまに、わざとの人がいますけれど(笑)。

わざとじゃないのに、キツく返されたら、先方も気分を壊します。
そんなことを繰り返していたら、どんどん関係がギスギスして、世の中全体がイヤーな感じになっていきます。

だから、劣化していく世界を、私たちが救えばいいのではないかと。
ギスギスと戦う戦士なのだと考えると、ちょっと楽しくなってきませんか?