震災の年、九段の桜

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震災の年、私は神保町にいました。
まだ、余震が続く春、一人で日の出前の千鳥ヶ淵に向かいました。
さすが都内有数の桜の名所、始発前でもカメラを持った人の
姿が目立ちます。

青空の下の桜、ライトアップされた夜桜も、美しいものですが、
私は、あの朝の桜が忘れられません。

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そこは、見慣れた千鳥ヶ淵なのに、まるで違う世界なのです。
青白い世界、影絵の国。
生死の境にある場所のようでした。

桜は花開くとき、死者の魂を送る役目をするんだよ。
どなたに聞いたのか、何かで読んだのか?

都内有数の桜の名所ですから、始発前なのに、もうカメラを持った人が
いるのです。
でも、どんどん進むうちに、いつのまにかひとりになって。
念願の千鳥ヶ淵の桜ひとりじめなのに、うれしさよりも先に、
恐ろしさが浮かんだのをよく覚えています。

終わってしまえば、東京の混乱など、ほんの数週間のことでしたが、
当時はまだ、余震も続き、いつ何が起こってもおかしくない気配が
残っていました。
そうそう、関西に行ったんです。
あまりのギャップに、驚いて逃げかえってきたのです。
大阪で会った友人は、伊勢丹が梅田に出来る話をしていましたっけ?
兵庫のホテルで、洗面台の水を手にして「この水は丈夫かしら?」と
考えて、ひとり笑ってしまいました。
コンビニに、いろはすが並んでいて、驚きました。
いつもの春が、そこにあったからです。
京都では、外国人の姿が消えていて、桜が見事に咲いていて、
あんな観光チャンスは二度となかったのに、私は名木をたずねる
気力もなく、何かに追われるように帰りました。
東京について、暗い駅に立ったとき、心底ホッとしたものです。

震災のニュースがテレビから消えたころ、東北在住の知人と会いました。
その人は、私と話しながら、ずっと貧乏ゆすりをしていました。
私も、何をどう話していいのかわからなくて、ずっと言葉を探していました。
途切れた会話の中で、あの日、関西の友人と逆の立場になったのだと
理解しました。人は、まだ持っている人の前で、もう失ってしまった自分に
気づいて、傷つき、苦しむのです。

神戸のとき、私はまったくわかっていなくて。
新潟も、自分が足を運んで初めて記憶がつながりました。
情けないけれど、そういうものなのかもしれません。
当事者にならないと、なにもわからなくて。

松井冬子展で、一枚の絵にくぎづけになりました。
松井冬子さんも、あの桜をご存じなのだと思いました。
九段の桜。震災よりも、ずっと前に描かれたものでしたが。

熊本の一心行桜、いつか見たいのです。
そう地元の方にお話したら、戻ってきた言葉はこれでした。
「行く時間に、お気をつけなさい」

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こちらは、同じ年の昼の千鳥ヶ淵の桜です。
ホント、桜は、油断なりません。別世界です。

熊本は、遠いいつか。
でも、千鳥ヶ淵には、あと数日のうちに、どこかで早起きして足を運びたいなあと思っています。

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2013年3月24日 | カテゴリー : 日々のこと | タグ : | 投稿者 : 章月綾乃