場をつくる

きょうは、少し長い話になります。
え、いつも長いって? じゃあ、その倍くらいで。
お時間のあるときに、おつきあいください。

土曜の朝、私は沈んでいました。
先週、自分が人に振った話題から疎遠になった人のウワサを聞いたせいです。
「彼女、ツイッターでよくつぶやいているよ」
「へえ、そんな風に、つながっているんですねえ」

その場は、さらりと流しましたが、日を置いて、
自分でも思いがけない行動に出ていました。

「あ、これか」
彼女を見つけて、ざっくりログを読みました。
読んでいるうちに、なぜ、彼女と疎遠になったのかを思い出しました。
もし、仲直りしたとして……。
仲良くつきあえるかといったら、微妙だと思いました。
同時に、「おめでとう」って言ってあげたいなーって素直に思って。
なんだろう、この好きだけど、嫌いみたいなの(笑)。

究極のところ、これは、 捨てたはずの過去への執着でしょうか?
それとも、ゆがんだ妬みでしょうか?

ざわざわして落ち着きません。
ただね、こんな風に、今の自分に関係ないことが気になるのは、
私の核が揺らいでいるせいだということは、わかります。
自分に確信がないから、変なことで動揺するわけです。

で、沈んだ気分のまま、二ヶ月ぶりのルーシー・ダットンに参加しました。
まず、挨拶を始めるのですが、簡単な意識集中の途中で、唐突に、
20年前の知り合いのことを思い出しました。
「大橋さんに会いたいなー」

パフォーマーなのですが。
そう思ったら、涙があふれてきました。
大橋さん、元気かなあ?

ポロッと本当に涙がこぼれて、焦ってタオルで拭いて、ご挨拶をして。
「そうかー、大橋さん、まもなく還暦かあ」って思ったら、
面白くなっちゃって。
20年前38だか、40だったわけで。そうしたら、もう還暦です。
壮年期のころの大橋さんのイメージしかないから、
今、会ったら、全然違う人になっているかもしれません。

時の流れを感じました。
きっと、「大橋さん」は、私の若いころの夢や希望の象徴なのでしょうね。
もちろん、こちらは、「先週から私を悩ませている昔の友人」では
ありません。わかりにくい文章で、申し訳ないのですが。
きょうは、こんな風にダラダラと続きます(笑)。

「手放してください」
そんな定番の誘導フレーズが、妙に心にひっかかりました。
身体を動かすうちに、だんだん気持ちが落ち着いてきて。

ルーシーが終わるころには、なんだかスッキリしていて。
「私が今やってみたいのは、グループセッションだ」と
いうところに落ち着きました。

久高島に行った友人が、お土産をくれました。
くちゃ玉

くちゃ玉、かわいい。ありがとうございます。
その友人ともう一人の歴史好きな男性と3人で、
つぶつぶカフェで食事をし、やがて2人になって、
またもや、パワーストーン屋さんに行きました。

久高島の友人は、キラキラな石を、
私はなぜか、こんないかにも魔女石を買ってました。

魔女石

なんの呪術につかうのでしょ???
我ながら、不可解な行動です。

針が入りすぎたルチルの仲間とうかがいましたが、
正確な名前は、聞き忘れてしまいました。
ただ、効用?は、グラウディングと魔除けだそうで。
まさに、場をつくろうとする私には、ピッタリの石でした。

友人と別れて、次に向かうところに行くために、
手土産を探しに伊勢丹へ出ました。
この日は、ピンとくるものがなくて、ちょっと困りました。
結局、千疋屋さんにして、意外にウケまして、よかった、
正しかったかーとホッとしたのですが。
リアルなお知り合いはもちろん、続けて読んでくださっている
方も薄々お気づきだと思いますが……。

手土産、凝るほうかもしれません。
手土産のために、アンテナ張ってます。ははは、バカですねえ。

千疋屋さんを持ってうかがった場所では、二人の方と
お話しさせていただたいたのですが。
ここでは、ネットコミュニケーションの怖さが話題に出まして。
そうなんですよね。SNSやブログのせいで、
関係が崩れる、壊れるってありますよね。
実際、私もツイッター検索で、昔の友達を探し当てたわけですし。
名前なんか全然からめてなくても、その人の特性を知っていれば、
探せてしまうのが今の時代です。

でも、もう出来ちゃったものをなしにしようは、ちょっと
難しいわけで。
となれば、自分が変わるしかありません。

また、朝からの心変容のプロセスに立ち戻れば、
過去のひっかかりに心が奪われてしまうのは、要は、
不幸だからです。
さて、ここはハッキリさせて。
自分を不幸にしたままでいいのかということです。

いい思い出があるから。まだ、好意が、未練が残るから、
過去に気持ちが向かうのは、仕方のない一面もあります。
でも、もうよい時間は過ぎ去り、今は違う流れの中にいます。
むりやり、流れを逆流させて、果たして幸せになれるかどうか?
疎遠になるには、それなりの理由があります。

やっぱり、完結を選ぶしかありません。
それは、誰が決めるのかといえば、自分自身です。
自分で、新しいお話に紡ぎなおすのです。
一度、思い出に、過去に変えないと、現在が失われただけです。
その上に、未来が積み重なるかどうか???

というわけで、すっかり気持ちを立て直すことが出来ました。
こういう揺り戻しみたいなのって、なんなのでしょうねえ?
決着をつけたはずなのに、繰り返し、揺さぶられます。
簡単な理由づけは、「過去世の因縁が深い」なんですが(笑)。

だけど、やっぱり、私たちは、現世に生きていて。
変えられるのは、今と未来で。

過去にこだわることも出来ますが、それは、終わった時間の
中に自分を閉じ込めるだけのことですよね。
戻れるかわからないのに、戻ろうとあがけば、
その分、目の前の道から外れてしまいます。

縁は途切れたのではなく、変わったのでしょう。
縁の変わり目はあるもので。
正しく先へと進めば、また、結ばれるかもしれません。
くるしくても、消化して、形だけでも、完結させて。
次へ行きましょう。

ただ、書いておこうかなあ?
「ご出版、おめでとう。
よかったね、きっと、次のステップも踏めるはず。
あなたは、有能で優秀。誰よりも、向上心があって、
尊敬できる人です。
一緒にいられた時間は、大事な思い出です。
あまりにもいろいろありすぎて、戻れるとは思えないけれど。
あなたは、大事な友達でした。
直接言えないのが、苦しいけれど。
でも、本当に、おめでとう」

24歳の女性に、こんな話をしました。
「24歳じゃピンとこないと思うけど、
もう少しすると、恐ろしいくらい簡単に人と切れるんだよね」って。
本当に言いたかったのは、
「だから、今の人間関係は、絶対じゃない。
本当に大事なことなら、譲らないほうがいい」だったのですが、
ちょっと、焦点がズレてしまい、これは、言わずじまい……。

私よりも少しお姉さんもいらして、しみじみ、おっしゃるのです。
「本当に、自分が悪いのかと思うくらい」
話が違う方向へ向かいました。

たぶん、私も悪く、相手も悪く。
そして、怖いことに、どちらのせいでもないのです。
成長のスピードが変わる、お互いの事情が変わる、そして、
親しいからこそ、離れてしまうのです。
ケンカできるくらい仲良くなれたことを誇りに思えば、いいんじゃないかなーって
思ったりします。

昔、別役実さんの戯曲で、こんな言葉に出会いました。
「親しいからこそ、その人から犠牲にする」

正しく覚えていないのですが、ニュアンスは、こんな感じ。意訳ですみません。
中学生のころかもしれません。出会ったのは。
ハッとして、納得して。
でも、正しく理解したのは、最近になってからかもしれません。
当時は、「なんでだよぉ」って反発していたように思います。
今は、「だよね、だから、愛なんだよね」って感じます。

穏やかに、円満に。
誰とも、モメずに仲良く出来ればいいけれど。

そうそう、もうひとつ。
世の中には、2通りの人がいて(笑)。
ケンカが出来る人と出来ない人です。

モメやすい人は、ケンカしても、仲直りできると信じています。
でも、ケンカしたら、すべてが終わりになっちゃう人もいて。
そこ、見極めないと、お互いにつらいですよね。

土曜日物語はさらに続きがあり、絶品ミートパイの部とか、
オリーブ物語とかあるのですが、まあ、それは、
また機会が巡ってきたら……。長くなりました。

場をつくること。
幸せな場をつくること。
この週末で、新しい目標ができました!
そして、新しい週の始まりですね!

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