孤独が落ちてくる

ひんやりと、気持ちの奥底が沈んでいて。
これは、なんだろうとずっと考えています。

今月に入って、人に会い過ぎ、話を聞きすぎた反動だと思われます。
にぎやかさと静けさ。
元気と無気力。
そのギャップの中で、あっというまに、4月ももう20日です。

この前、昔、よく通った小料理屋さんに行きました。
オープンから13年目。開店のころ、足しげく通ったため、
数年行かなくても、店主の記憶には残っていたようです。
メニューが増えていて、お客様も増えていて。
バイトの子は全員入れ替わっていましたが、店主の
お嬢様は、「章月さんでしたよね」と覚えていてくれました。

ビールが運ばれてきて、さあ、飲もうと思った瞬間、
胸が詰まりました。
昔、一緒に通っていた友人は、もうこの世にはいないせいです。
もう少し、お店が落ち着いていたら、店主にもお伝え出来たのですが。
でも、昔の常連が二度と来れないなんて、知らないほうがいいに
決まっています。

お店はそこにはあるけれど、過去は過去。
今は今。
そんな風に、人生は進んでいくのでしょう。

大きい流れから見たら、ささいなこと。
でも、それが、気持ちをふさいだりしますよね。
私はとりあえず、人生を動かしていて。
次へ向かっているのに、気持ちのどこかが冷めていて。
こういうのも、春っぽいと感じたりします。

春っぽいといえば……。
お世話になっていた編集さんが転職するのです。
思いがけない展開ですが、非常に彼女らしい選択です。
きっと、彼女によく似合う物語が紡がれていくでしょう。

そうですね。
人生は、章仕立ての物語のようなものかもしれません。
昔、小料理屋さんに通ったころの物語はもう終わり、
違うストーリーが始まっているのです。

過去を思えば、孤独が落ちてきます。
未来を思えば、希望が満ちてきます。

ただ、きょうは、少し、沈んでいようかと思ったりします。
無理に前を向くこともないでしょう。
ゆっくり思い出に浸って、決着をつけて。
ひとつずつ、片付けて。気持ちを整理して。

こういうのも、運の変わり目。
引き潮だと感じます。
引き潮って、大きな波が起こる前に生まれるのです。
意に反して、沖へ引っ張られても怖がらずに。
むしろ、遠くへ、遠くへ。流れに逆らわずに。
そうすれば、やがて、新しい波が生まれます。

静かに、孤独を受け止めて。
静かに、沈む。過去に思いはせて。
こういうのが、全部、自分の土壌になっていくのかもしれません。

二度と戻れない楽しかった時間。時代。
きっと、雨が上がれば、気分も変わるでしょう。きっと、ね。

 

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