長生き、しない!?

この週末は、いろいろ詰め込みすぎましたっ。

大嵐警報の中、2つの集まりに顔を出した土曜日。
パワーストーン屋さん、つぶつぶカフェ、お能、ルーベンス展、ネイルサロンとハシゴした日曜日。
そりゃもう、倒れても無理のない話です(笑)。
土曜日にうかがったお話が、とにかく強烈に残っています。

「占い師は、長生きするはずがないのよ。でも、それでいいの。
大事なことを人に伝えきって、そして、次へ行けばいいの。
それが、面白いじゃない?」

どうです?
この重く、かつ、軽やかなお言葉!
憧れの先生からうかがいました。

私はうっかり占いを仕事にしてしまいましたが、もちろん、最初は読者でした。
マイバースデイの毎日の占いを透明の下敷きに挟み、エルフィンを読んだりしていました。
不思議なご縁で、書かせていただく機会を得て……。
発売中の一号限りのマイバースディ復刻号では、公に「まつざきあけみ先生のタロットカードを
どんなに愛していたか。焦がれていたか」を語らせていただく機会までいただけました。

そして、この週末、幼かったころに憧れていた先生と、直接お話する機会をいただきました。
小さいころの自分に「先生にお会いしてきたよ」って言えたら、
目を丸くして驚くのではないでしょうか?

でも、その会話は、本当に大人な内容です。
これは、今の年齢だからこそ、とても深く響きます。

自分に人様にお伝えするような何かがあるかはわかりませんが、
廃業を選ばなかったのには、理由があるのだと感じます。
占いを仕事にして、今年で20年になるんですよ。
20年間、「幸福とはなんだろう」「運とはなんだろう」と考え続けてきたわけです。

そして、先生は、その先に、さらに遠くにいらしているのです。

生まれた以上、いつかはこの世界を去ります。
年を重ねるにつれ、親しい人とのお別れの場に立ち会う機会も増えてきました。
でも、本当に、教えていただいたことは、ずっと生きています。
あのとき、あんなことをおっしゃっていたなー。
そんな風に、記憶の中から今は亡き方が語りかけてきたりします。

長生きは、しなくてもいいのかもしれません。
ただし、きちんと、生き抜ければ。

お能は観世能楽堂で、『道成寺』を見てきました。
基本的に、「なにもない空間」に、別世界を下すのがお能だと感じるのですが、
道成寺には、大きな鐘が用意されます。
私はそれほど数を見ていないし、知識があるわけではないのですが、それでも、
かなりエンタメ寄りの作品だと思いました。
なにしろ、白拍子が、鐘の中で蛇に変わって現れるのですから。

過去に、歌舞伎で見たこともありますが、お能の道成寺、素晴らしいのです。
もう、切なくて。
特に、今回は、観阿弥、世阿弥以前の鎌倉時代の『泥蛇』という面だったそうです。
泥蛇はでいじゃ、面はおもてと読みます(あ、私も人に教えていただきました)。
そんな昔のものが、今も現役で使われていて。
面に食われない気迫と身体、そして、強い意志があってこそ、成り立つ世界で。

 

見ながら、「蛇に変化しても、手は人のままか」と、当たり前のことですが、
それがまた、切なくやるせなく、胸に迫ってきました。

こちらが、その面なのですが。こんな面、つけられます?
何かの間違いで手にしただけで、異次元にひっぱられてしまいそうではないですか?
能楽師というのは、すごいことをさらりとやってのけます。

泥蛇

きっと、このインパクトが強すぎたのでしょう。
ザ・ミュージアムで見た「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」は、
さらりと流れてしまいました。

ただ、「足」は面白かったです。
「復活のキリスト」のキリストの足が外側に逸れて、現実逃避の相なのはよいとしても、
いざなうはずの天使の足がいじけていました。
天使の足は、のびのびしていないと!
でも、ルーベンスでさえ、そこまでは考えられなかったのでしょう。
当時のモデルたちが、そういう足の持ち主だったと想像します。

足で、その人の持つ傾向などが現れるというのは、
トウリーディングの考えです。
そうそう、トウリーディングの提唱者K・C・ミラーさんは、十中八九、
魔女だと思います(笑)。
去年、ミニイベントにうかがったのですが、一目で
「うわー! そりゃ、この人にはなんでもわかっちゃうよ」と理解しました。

最近は、耳で未来を読む術を伝授なさっているようですよー。
オーリキュラーセラピーで、検索かけるとヒットすると思います。

自分がどう生きていくのか、どこに向かうのか。
この世界には、いろいろな手掛かりがあるのかもしれませんね。
あれ、なんだかあっちこっち話が飛びました。失礼、失礼。
では、今宵はこの辺で。よい夢をご覧になってくださいね。

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