少し前から気づいていたのですけれど。
最近の若い編集さんは、わからないことをわからないって言うんですよね。
これ、ここ1、2年の傾向だと思います。
えっとね、うまく伝わるかわからないのですが。
これまでにも、わからないことはあるわけですよ。
でも、わからないときは、自分で調べた上で、
「わかりにくいので、違う表現を」とか、言い換え、差し替えをお願いしたと
思うのです。
「私はわかっているけれど、読者さんには伝わりにくいと思います」的な
言い方をしたわけです。
でも、最近は、ちょっと違うんですよ。
「私がわからない、知らない」から、「変えてください」なんです。
これ、大丈夫なのかなー???
いや、こちらは勉強になるからいいんですけれど。
でも、世間の中でも知的レベルが高く、好奇心は旺盛な人が就く
仕事ですよね。編集者って。
そのお仕事をしている人が、「私がわからないから」って
言い切っちゃうってことは、一般の人はわからないことは
「関係ない」ことになっちゃいますよね?
文化の断絶、言葉の断絶がすごく心配です。
だいじょうぶかー???
でも、それはそれとして。
もうひとつの側面では、この流れは応援します。
好き嫌いでいえば、今の方が好きなんです。
私も、そんな風に言いきっちゃいたかったです。
「知りません」、「わかりません」、だから、「わかるものに
差し替えてください」って。
私の年齢って、ちょっと文化の狭間なんですよね。
時代を作っているのは、5歳から10歳くらい上の人達で。
だから、わからなくてもわからないって言えなかったんです。
もう、イロイロ、悔しくてねー。
5歳、10歳上のカルチャーが、5歳年下にとって「イイ」わけないじゃない?
ピンとこないし、つまんないわけ。本音を言えば。
でも、時代はそっちだから、背伸びしてついていくしかなかったわけですよ。
あー、腑に落ちた!!!
この前の「朝日のような夕日を連れて」は、あのころのナンダカナーを
思い出させるんでした!!!
そっか、それか!!! そっかー。だから、居心地が悪かったんだー!
選ばれた年代っていうのがあるんですよね。
そこで、クッキリとカルチャーに線引きされる特徴的な世代が。
で、カテゴリーでくくると、5年とか、10年でいっしょくたにされちゃうけれど、
時代の先端と末端じゃあ、もらえるものが違います。
バブルなんてよくわかんないもん。世代はひっかかっているけれど。
あるとき、やはり5歳上の人が「バブルのころはねー」って若い子に
語っていて、「うわー、ホントに語るんだ!」とビックリしましたよ。
お兄様、お姉様方、それは、やらないほうがよろしいかと。
子供のころ辟易した「戦争中はね」の亜流ですよ、それ。
私も言いたかったなー!!!
「なんです、それ?」
「なにがいいんです?」
「よくわからない」
だから、「今の言葉に差し替えて」、「わかる言葉で言って」って!
くうぅぅぅ! 私も言いたかったよー!!! カッコイイよ!
必死でついていきましたよ。ノーって言う選択肢があるなんて、
思いもよらなかったですよー。
ただ、まあ、知っていると知らないなら、知っているほうがいいですね。
今は、情報が多すぎるから、「いらない」ってしないとパンクしちゃうんですよね。
で、その「いらない」って決める時の人格や教養のレベルで、おそらく、
その後も大きくクラスが振り分けられちゃうわけで。
おばちゃんっぽくまとめますと、「知らない」、「わからない」から差し替えては、
OK! どんどんやりましょう。古いカルチャーやフレーズを使うことはありません。
ただ、そのときに、「知らない」から切り捨てじゃなくて、自分の中に溜めておく、
上の世代の人がなぜそれを選ぶのか、また、何を言いたかったのかを、調べておくと
いいんじゃないですかね?
いつかリバイバルするかもしれないし、少なくとも、目上の人と話すときに
ちょっと手がかりになったりしますよね。キーフレーズとしてストックしておく感じ。
時代の狭間に生まれたなーって気はします。
気はしますが、同い年でも、業界をリードしている人はたくさんいらっしゃいますから。
要は、何を選んで、どう生きるかなのでしょう。
とりあえず、ジェネレーションギャップは、ひとつのテーマです。興味深く、おもしろいです。