ウフィツイ美術館展

1階にある絵の大半が、目がうつろ。テンペラの特性のせいでしょうか。いえ、あえて、わざと、かもしれません。
注意深く見てみると、神聖なもの、人間離れした存在のものの瞳には、生気が宿っています。
15、16世紀のフィレンツェは、意外に生きにくい時代だったのかもしれないと感じました。
ボッティチェリ《聖母子と天使》の天使の人を試すような小賢しい表情が、妙に記憶に残ります。

2階の印象は、緋色。絵を展示する壁が赤く塗り分けられていたせいもあるし、やたら緋色が目につくせいでもあります。

足にも目が向きます。
親指の反りが強い。人差し指が発達し、小指に向けてどんどん粗末になっていきます。
この時代の人の足、野性味あふれる足、生命力のある足。

聖母マリアを象徴する青い布。腰より下に巻かれている印象が強く、遠目で見ると、
人魚に大勢の人が集まっているようにも見えます。
実際はまったく違うんですが。きょうの私の目には、人魚のように見えます。

≪春(プリマーヴェーラ)≫のタピストリーには、3月25日の占星術の意匠が隠されているそうですが、
わかりやすい牡羊くらいしか読み取れませんでした。でも、羊の後ろにいるのは、どうみても牛だしなあ。
一生懸命見れば見るほど、ドツボにはまっていくわけです。
レモン? レモンは、強いていうなら、双子座だよね。ユリは、聖母系のシンボルだし。あとは、あれはアネモネかなあ?みたいな。
シンボルってことは、頭の飾りかなー? でも、どこまでが髪の毛で、どこからが飾りかよくわかんない……みたいな。
まったく、頼りないったら!
ただ、ジロジロ見ていたので、枠に当たる部分のサティロスっぽいやつは、左右で表情が違うことに気づきました。
あれは、わざとなんですよね。きっと。右側は好色そうに見えますが、左は無関心に見えます。
うーん、まだ、隠れていたかなー? まあ、混んでいる中、結構頑張って見たつもりです。
よくわからなかったけれど、まあ、いいや。

一角獣のときもそうでしたが、タピストリーとは、どうも相性が悪いみたいです。ハイ。
どこまでが意匠で、どこからが退色なのか、よくわからないんだもーん。

メディチ家の没落以降の変化が、ちょっとわかりにくかったです。
作品が年代順に並んでないため、せっかく歴史をパネルで教えてもらっても、頭の中で画風の変化がつかみきれません。

ボッティチェリ《パラスとケンタウロス》は、美しかったです。
しかし、コレが結婚のお祝いかーと考えますと、うーん、よくわからんと思いました。
聡く、賢くあれ……みたいな?

まあ、ともあれ、マニエラ・モデルナ(新時代様式)までいきますと、だんだん、感覚が私たちに近づいてくれるというか。
構成もひねったものになってきて、私はこれくらいごちゃっとした感じのほうが好きだなあと思ったりしました。

きっとね、フィレンツェで出会ったら、違う印象になると思います。もっと大きいうねりの中で、感じたい絵画たちでした。
遠い日本まで来てくれて、ありがとう。

 

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