道教。

昨日、中野純さんに私の身の上に起こっている媽祖廟物語についてご報告したところ、
「台湾の人は、道教の本堂的なところに入る時、私物は持たない」というエピソードを教えていただきました。

ほぉぉぉ。

この短いお話の中で、二回目からウロコでございます。
ひとつは、聖域に対する意識。台湾の人を見習うべきかもしれません。
もうひとつは、「え? そこ?」だと思いますが、「そうか、媽祖様は、道教の神様か!」でございます。

あ、言い換えれば、こんな何もわかっていないやつにもご加護があります。お心が広いデスね。

道教、また奥深い道が見えてきましたなあ。道教、wikiで引いても、さっぱりわからないっすよ。
で、やっと、媽祖様についても、検索をかける……というところに行きまして、日本だとオトタチバナヒメに習合していると
知りました。へえええ!!!

やはり、海というキーワードなのでしょうか? だいぶ、背景が違うと思うのですが、でも、習合されているのですねえ。
へええ。

で、東京媽祖廟なるものもあるみたいです。でも、こっちはどうなんだろう?
トップページにいきなり、光明燈の話から入ります。Q&Aも、光明燈の話です。
信者様には、そこが最重要ポイントなのでしょうか?
まあ、ご縁があったら、ご挨拶にうかがいましょう。

やはり時代も21世紀になりますとね、ひとつのものにもいろいろな背景がくっついてきますよ。
私たちは、摩訶不思議な運命の糸に引き寄せられ、織り合されて、今、ここにいるのかもしれませんね。
深く追いかけるもよし、単に感謝と敬意だけで接するもよし。信仰の原点で、本質は祈りでしょうし。
この「引っ張られる」感じ、2008年に出雲から始まる日本の神様に引っ張られたときと同じなので、ちょっとワクワクしております。当面、私、中華街の回し者ですので、そのあたり、ご了承くださいませ。

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