昨日、つくづく思いました。
今年は、タイミングが悪すぎると。
予定が少しずつズレて入ってしまい、後から、「ああ、1日ズレていれば、アレも行けたのになあ」が続くのです。
昨日も、帰り道に気づきました。
10月1日が慶祝国慶なのだと!
あーあ!!! さすがに、パレードを見るためだけに行けません。
きょうも通年でしたら、お墓参りです。
が、この台風の中、お墓参りに行っても、お線香はすぐに消えてしまうし、
花は散らされるでしょう。故人も、「いいよ、来るなよ」ですよねえ。
もう上がっている気もしますしね。
夏も、ピカチュウ大行進が見られませんでした。あのときも、鍼に入れた日と1日、ズレていたんですよね。
小さいことを諦める、どうしても!を削る……、
そんな風に、回っていくのかもしれません。
また、そこが、変化の兆しなのかもしれません。重心が変わることで、得られるものもつきあう人も変わっていきます。無理に続けよう、キープしようとすると、たぶん、止まってしまうのでしょう。
昨日、鍼に行ったのに、すでに体の右側が傾いでいる気が致します。先生は間違いなく、ゴットハンドなんですが、ここ数年、症例として他の患者さんの話をされるときに見え隠れする突き放しが気になるようになりました。そりゃ、病気になってしまたら、その原因になるものを排除するのが賢い生き方なのでしょうが、それが出来る人ならば、最初から病気にはならないですよねえ。もうクセみたいなものですからね。
弱さも合わせて、やり繰りしているのが私たちではないのでしょうか?
お酒やタバコはやらないほうがいい、夜更かししないで、早く寝たほうがいい、
そういう清潔さ、基本だし、大切なんだけど、日常を送る過程の中で、ストレスを解消するプロセスに嗜好品が組み込まれてしまっている以上、それを変え、絶つのには、時間がかかります。まず、本人の納得がないと。このままではダメだ、生き方を変えよう、と。そこまでの心の変化も、治療のうちではないかと。
肺ガンで入院しても、タバコをやめられない人、肝臓を壊しても、お酒を飲んでしまう人、みんな、愚かですが、どうしようもないんですけれど、でも、そこに、人がいます。非常に、人間くさいのです。
そういう弱さへの共感力が欠けている気がして。
共感が底辺にあれば、「そうだよなあ、少しずつでも、辞めなければ」って思えるけれど、毎回、「冷たいものを飲んでいるんじゃあねえ」的な断ち切り方をされると、もうそこを共有する気になれなくなります。ここ、結構大事なポイントのような気がしますね。
私が体を変えるには、次の指導者が必要。最近、そんな風に感じるようになりました。「きちんと出来ないなら、治りません」は、正論なんですけれどね。
正論で人が動くかどうか、動かないじゃないかなあ??? ダメさを自覚するほど、萎縮してしまうものね。
先生も若いからなー。でも、今の路線のまま進んだら、きっと「意識の高い人のための治療院」になるんでしょうね。弱さへの共感に気づくことはないと感じます。昨日も、若いお取り巻きに囲まれて、嬉しそうでしたし。うーん、ああいう構図、見たことあるぞー!!! スピリチュアルな世界で、ありふれた構図、私は、知っているぞー!!!
今は、月に2回を目安に通っていますが、頻度を下げて、他を入れてみようかと思っています。本当は、アーユルヴェーダに戻りたいんですけれど、トータルでインド式で生きられるかどうか、まだ、覚悟がつきません。日本のアーユルヴェーダ、とにかく高いんですよ。
でも、今年、入院をせずに済んでいる、喘息も、結石もコントロールが出来ているのは、鍼のおかげだと思っていますよ。感謝していますよ!
欲しいのは、「いつか、辞めましょう。体が整えば、心も納得して、いつか変われますよ。それまで、伴走するから。少しずつやりましょう」的な言葉かなー??? ああ、コレ、占いにも必要ですね。うむ、どこにも学びはありますね。
そっか、技術者と考えればいいのかー。技術者に、包容力を求めるのは、酷ですね! 人は変わらないし、変えられないからなー。ここは、こちらの意識を変えるしかないですね。
松の実、枸杞の実、八角、花椒、花椒オイル。
そうそう、そういう買い物も、タイミングを合わせていこうと思います。
要は、今年余裕がなさすぎなんですよね。
ちゃんと休んでいない気がします。一番大きい理由は旦那の転職で、夜勤が入ってくるから、そこに振り回されて、結構クタクタなのです。
そろそろ半年、慣れたいものです。