大爆睡。
昨日は、猫のフードが切れかかっていて、小雨の中、少し離れたペットフードショップへ買いに行きました。ミッション終了、爆睡。
今朝は、夜からずっと黒猫さんに起こされていましたが、「うん、うん、わかった、わかった」言いながら、起きられません。結局、パチッと目覚めたのは、朝10時。うぉー!!! 寝た!
<戯曲『スカイライト』のこと>
ようやく、取り寄せた『悲劇喜劇』で、「スカイライト」の戯曲を読みました。
悲劇喜劇、まだあったのか!! 私が知らないだけなのですが、上演中の戯曲を読めるのは助かりますね。
で、戯曲を読んでわかったのは、息子のどもり設定は、戯曲にはないじゃん!ってこと。
あと、「主人公のキラとトム一家が接触したきっかけになった娘は、大学を出て、家にいない=家を見捨てた」ということ。
戯曲として読むと、非常に感情的で扱いにくく、伏線というよりも怒りの蒸し返しの連続で、それほど仕上がりがいい状態とはいえないと思いました。この非常に女々しい脚本を、あれだけドライに仕上げた蒼井優ちゃんと演出の小川なにがしさんは、すごいかもですねえ。
逆に、外食産業で成功しているはずのキムの不倫相手、トムのキャラがよくわかんないんですよね。
かつては、精力的で、富と名誉を手に入れるために奮闘していた男が、家族ぐるみでつきあっていた若い子に夢中になり、妻の目を盗んで不倫を楽しみ、新しい妻として据えたくなり、プロポーズをしても煮え切らないから、わざとバラしたら、不倫相手のキラは逃亡してしまったというのが物語の始まりなのですが。
遺された壊れた家庭の中で、妻の不治の病が発覚し、財をつぎ込んで素晴らしい病室を作り、一年の闘病の末に、見送ったら、息子も、サジを投げるほど老け込んでしまった、おかしくなってしまった……。
息子は、かつて家族のようにつきあっていたキラに救いを求め、父親も、よりを戻すために、訪ねてくます。同じ日に、時間差で。
わかんねえ!!!
これ、キラと一家を急速に惹きつけるきっかけになった娘不在で話を進めていいのかなー?
どうして視点が息子と父親になるんだろう? そこは、男のロマンなのかな? 男性の戯曲家の限界なのかなー?
最愛の夫と親友に裏切られた美しい母、幸せを盗んだ若い女、それを語る視点に、母の分身であり、もっとも冷静な評論家である娘を外していいのかしら? そこ、もう「いないんだ」で終わりでいいんだ? わかんないなー。
あと、どうして冒頭入場制限かけたのか、演出意図も本当にわからないです。
冒頭、締め出されてしまうと、話の設定がまったくわからない。遅れてきたのが悪いかもしれないけれど、あれは、表現の暴力ですね。自己責任の範囲を超えちゃう。だって、娘がどうなったのか、大事なくだりは、繰り返されないから。
どうしてもの光の効果、音の効果、あるいは、冒頭を見せることで、終わりが引きたつサービスならば、入場制限ありだと思いますが、セリフ劇、しかも、状況把握のための大事なキーの部分までかぶせるのは、本当にどうかと思いますね。私もしつこい性格なので、戯曲取り寄せて確かめたわけだけど!
締め出すなら、その部分までの戯曲を渡すくらいの配慮がないと、観客の締め出しになりますよ。小川なにがしさん(まだ覚えるに値しない)
この締め出し、12月の最大の怒りなので。来年には忘れると思いますが、今後も思い出し怒りすると思います。それくらい、無礼な扱いだったと思います。演出の都合上、お気をつけ遊ばせ。恨み、買いますからね!
<サントリー美術館『扇の国、日本』>
扇の芸術性、呪術性についてフォーカスされた企画展でした。
冒頭から、佐太神社で、嬉しかったです。
扇は、開いた形で神様に奉納されています。
軸に貼られない状態だと、バームクーヘンみたい。
扇流しに、火伏せ、地獄に落ちるのを防ぐ効果まで。
和歌や絵画が描かれていきます。
マリーアントワネットの時代の扇の開き方による会話術も気になるところですが。
日本の場合は、日本舞踊や能楽、舞台芸術、落語のフィールドで、扇の開き方に伝わるものがあるのでしょうね。
水と風、木と紙から作られたものは、火を制します。ふむ。
水に流したら、そこで、ダメになりますよねえ。
うっかり火がついたら、燃え上がってしまいます。
ふむ。なかなか興味深いです。扇の世界。
<人の思い>
ザラリとした感覚があり、「ああ、根底は変わっていない」と理解しました。
いくら隠そう、ごまかそうとしても、底辺に流れているものは、伝わってきます。
表面的な親しさの裏側に流れているもの。
逆に、表面的な儀礼の裏側に流れている親しさ、慈しみ、懐かしさ。
隠したって、わかる。伝わってきてしまうものです。ならば、正直になったほうがいい。
心と頭がバラバラって、格好悪いから。頭でいくら「うまくやろう」って思っても、心がダメだとバレるから。伝わる、嘘。わかる、ごまかし。本人だけは、うまくやっているつもりでいて。
それに傷ついた時期もありましたが、超越を目指していきたいと思います。
ザラッと来たら、菩薩対応で。これが、今後の私のテーマです。
別件で、ある方を見て、「あれ? お母さんだった?」と感じました。
それをその場にいた人に話したら、笑われて終わってしまいましたが、半ば確信しています。
きっとあの人は、かつてどこかで母だったに違いありません。
だから、今世では、それほどかかわらなくてよい。離れているけれど、認識している、お互いに。
ただ、身内のフィールド、もしくは、敵対フィールドにいくことはない。潜在的な味方。一族。
最近の私、結構大事なことを話しているつもりなのですが。
どうもうまく伝わらない。さらっと流されたりします。まあ、日ごろの行いの悪さかもしれません。
さて、ここから二週間は英気を養いますよ! 予定なんて、ほとんど入ってません。やりたいことしかやらないし、会いたい人にしか会わないんだ! 仕事はします、もうちょっと。
では、みなさま、よいクリスマスを。