発熱したり、ひいたりしています。
きょうは、母がやってきて、ちょこっとご飯を食べました。
昨日、夕飯を作る気力がなくて出来合いのカツでカツどんを作ったら、体が負けて、夜中に吐きました。この不調なんだけど、普通にやろうと思えば出来ちゃう変な感じ、一番困りますね。
一体、どこで風邪をもらったのかといえば、おそらく、『新聞記者』の映画館です。いやー、お客様の平均年齢が高くてねえ。後ろの人が咳をかぶせてくるし、席を蹴られまくるし、もうやれやれでしたよ。
で、映画も、うーんなんですよねえ。
現政府への批判が根底にあるから、悪対正義みたいな図が、なんかもう子供っぽいわけ。
で、揶揄もあるんだけど、そのフィルターの掛け方が幼くてさー。
「いや、それはないでしょ?」な世界で。
全体に、なんだこれ?でした。
で、どこかでレビューを読んで、「ああああ!!! そっか!」って思ったんだけど、それは、「『バイス』が出来たことは、日本では出来ない」ってこと。
副大統領による印象操作で、戦争が起きちゃう!
そのダメージを、未だに引きづっているアメリカ。なのに、またもやトランプ政権が、好戦的な国、強いアメリカのために、なんかやっている……!
このヤバさが、しょうもない現実が、映画という手法で、他国にも公開されている現実があって。
『ブラック・クラウンズマン』なんて、後半、あふれんばかりの怒りが、よくわからないドキュメンタリー映像の補足としてつけたされて、作品性をぶっ壊しているけれど、それが強いメッセージとなって残っていきます。
だから、うまくいえないんだけど。もっと、「これはフィクションです」をぶんぶん、ぶっ飛ばしてつくって、やりたいなら、間に現政府のアイコン、バンバン突っ込んで、で、「いや、フィクションです」を繰り返せばいいわけですよ。
それくらい、ひねって、それくらい観客を信用してつくらないと、今の映画といえないでしょ?
が、まあ、ヒットしているし、いいのかなー?
私は、これで、「安倍政権けしからん」とか言い出す人、仲良く出来そうにないけれど。
「バイス」を見た後に一番に思ったのは、「自分で調べなきゃ」でしたよ。
そういうきっかけでいいわけ。
とにかく、ベタ。
とにかく、昭和! 平成ですらない!!!
やりようがなかった、そうするしかなかった、いろいろあると思うんだけど。
で、主演女優、捕まらなかったのかな? 本当にそうなのかな?
そういうのも、よくわかんないですね。
さて、エゴン・シーレですよ!
美しいものを見たい私は、苦手な画家でした。
でも、この前、新美術館で《ひまわり》を見て、本当に心が動いたんですよね。
クリムトよりも、ひまわりなの! ゴッホではなく、シーレ!
そして、この映画で、わかりました。
人の醜さ、絶望、怒り、涙を描いているから、矮小さを引き出しているから、
目をそむけたくなるのだと。つまり、作品としての力は、完全です。パーフェクト!
そして、映画の中でさえ、取り上げられてしまう「妹との関係」。ぞくぞくしますね。
どれほどのタブー、でも、描かずにはいられないわけで。
秘密にとどめるのではなく描き出してしまう。
当時の評価は、ポルノ画家で。
師匠クリムトは、公の建物を飾り、自分の作品は、闇取引をされる……。
モデルたちに苦痛を強いる、あいつ、頭おかしい、あいつ、ヤバい。殺されるかもしれない……。
クリムトのデッサンの中に、自慰の一部始終があったというのも、ハッとさせられました。そりゃそうだ、それくらいやらないと、あの辺出てこない。
そりゃそうだ!
アート系のドキュメンタリー、面白いんですよ。
私は、『新聞記者』よりも、『クリムト』を推します。いいんだ、マイナーは百も承知さ!
ウィーンのサロン、私もお邪魔したいです。
が、占いと心理テストじゃ、入れないだろうなあ。
なんか考えないと!
あ、フロイトも出てきますよ。あの時代お好きな方、一見の価値がある映画だと思います。吹き替えじゃなければ、もっとよかったなあ。なんか声優さんたちが張り切り過ぎていて、いまひとつしっくりこなかったの。若い女優さんパートは、演技部分、棒読みだったしさー。なんで他は感情たっぷり、セリフパート、棒なんだろう??? ようわからん。脳学者さんのキャラが最高でした。やっぱり、パンフレット、買うべきだったかなー? なかなかいい映画なのですよ。
『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』