お叱りデー

昨日は、ちょっと面白い一日でした。

占いを外したんですよね。で、結構責められて。
「どうして?」って言われても、外したとしか言いようがない。

占いって、難しい仕事だなと思いました。
99.9パーセント当てていても、一回外したら、
当たらない人になっちゃう。

で、読みが浅かったかと反省していたら、時間がなくなって、
駅のエレベーターで、人を見捨てたんですよ。
おじいちゃんがゆっくり来ていて、電車入電のアナウンスがかかり、
乗らないと、ちょっと時間が空いちゃうし、易のクラスに遅刻するのです。
で、ドア閉めたら、改札でSuicaが反応しないのです。

駅員さんに聞いたら、「設定ですね」だって。
んなわけあるかい、昨日まで使えていたさ。
まんまと、乗れませんでした。

つまり、罰なんですよね。もうタイムリー。

この前、旦那がコケて、猫を逃がしてしまったのですが、
その日、媽祖様に参拝しないで帰ってきたのです。
もう鍼だけで疲れちゃって。来週も行くからいいかって。

その時も、「あ、媽祖様行かなかったからなー」って思って。

お叱りがマッハで来る。
「わかっているなら、やりなさい」

たまに丹波哲郎さんを思い出すんですよね。
「僕くらいになると、ゴミを見たら、拾わないとダメなんですよ」って。
僕くらいになるとのあたりが、ちょっと意味がわからなくて、すごく引っかかって覚えているのですが。聞いたのは、私が小学校だったか、中学だったか。
で、今、自分に同じようなことが起こっているんですよ。

「わかっているなら、やりなさい」

ある意味、「わかっている」人になっている。
まあねえ、幸せについて考え続けて27年、そりゃね、普通じゃないですよね。

で、易の教室に行ったら、「ちゃんとやれば当たるものだ」という話が出るわけですよ。もう2時間半の講座が、全部説教なわけ。外したのは、不徳の致すところ、未熟さというよりも、油断だったのだと繰り返し怒られます。

(授業は普通に進んでいるだけですよ、もちろん。私が勝手に痛いわけ)

いや、参った。参りました。
でも、叱られるうちが花、怒られるのは、見込みがあるから。まだ、見捨てられていないから。

というわけで、ちゃんと生きようと思っています。
おじいちゃんはちゃんと待つ、参拝もちゃんとする。筋を通す。
人に優しく、道理を通す。やれるんだから、やりなさい。
わかっているんだから、やりなさい。
占いは真摯に臨む、決して、手を抜いているわけじゃないんだけど、
「どっちでもいいのでは?」的な甘さがあったのかもしれず。

占いに選ばれちゃっているなって思った一日でした。
天職なのかなー? うーむ、まあ、占い師以外なんだというのだって話でもあるんだけど。ああ、あと、易は、向いているかもしれません。なんか合っている。たぶん、タロットのロジックよりもしっくり落ちてきます。過去世で中国があったのかもって書きかけて、そういや、氷室さんのリーディングで、宦官だったって言われたの思い出しました。宦官かー。痛かっただろうなあ。

そうそう、映画『トゥルーノース』を見た翌日にウルグイ弾圧のニュースを見て、本当に人間の業というのは、どうしようもないと思いました。
ホロスコートで終わらない。学び、生かそうとしない。
「ひどい」「ありえない」っていうのは簡単だけど、私たちだって、弾圧されるかもしれない、弾圧するかもしれない。小規模な話ならば、学校の中のいじめも同じ。人類全体が次のステップに進まないと、こういう愚行は繰り返されていく。もっと進化したいですね。



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2021年6月17日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃