舞台『マーキュリー・ファー』

マーキュリー・ファー、コロナ禍の今、なんの意味があって再演なんだろ?
上演スケジュールを組んでたから、だよね、きっと。
この話を受け取る体力、今の日本にあるかな?
演劇って、もうちょい違う役割だよなー。
これは今じゃないよなー。

最初の10分でバッドエンドまで読め、帰りたかった。
違うタイミングならね。響いたかもだけど。
しかし、コロナ禍でやることか? これ

追記。
なんかねー、演出家としての白井晃さんを信用していたので、
すごく残念で、ガッカリしました。
大人の事情はわかるんだよね。
初演が終わってすぐにこの上演は決まっていて、
役者もそれなりに押さえて、でも、企画段階でコロナが来て、
一回バラしちゃうと同じメンバーではやれそうにない。
同時に、役者が話に合わなくなる恐れもある。

でもさー、これ、世の中が通常営業ならいいですよ。
今、ここまでの閉塞感がある中、強行するべき作品だろうか?
もう大人の事情でやめるはなかったんだろうけれど、
観る側のコンディションをもう少し考えろといいたい。

最初の10分で、どう転んでもハッピーエンドにならないことはわかる。
そして、ずっと狂気につきあわされる。
それは、世の中が正気ならば成立する。

が、これだけ疲労した世界に突き付ける話だろうか?
これは、製作の判断を疑う。
別にハッピーエンドをやれ、夢と希望を歌えとはいわないけれどさ。
世界が止まっている時に、閉ざされた世界が終わっていく話はキツいだろう。
今やることじゃない。これを強行するとは、どれほど不遜なんだろう。
もし、コロナが終わっているだろう前提で企画を進めていたら、読みが甘いとしか言いようがないし、この世界的なパンデミックが終わっても、数年はこっちじゃない。ある程度、世界に体力が戻ってから引っ張り出す物語で。

今、私がセンスがいいなと思うのは、ナイル殺人事件。
いいじゃん、クリスティのミステリー。
昔あった上流の空気も、今の時代の癒しになる。殺人OK、頭脳戦大歓迎、
間違っても鬱舞台じゃないよー。

今、演劇ダメなんだなって思った。
ガチガチに固められて、自由が効かないし、表現者だった人が経営者になってしまって、そっちで動いているんだなってよくわかってしまった。
演劇って、ちょっと違う軸じゃないのかなー?
「今」をやらなくてどうするんだろう? なんちゃら監督を立てているところは、そういうリアルから離れたってことだよね。

これじゃねえだろ、だけが残る舞台。
ご覧になる方は、心身共に凍えるので、本当に暖かく!
まあ、こういうのも、壊れていくといいな。変わっていく世界の中で、こういう「決まってたから」的なガチガチなところ、なくなるといいなと願います。

まあ、わかんないか。
私の体感は、「今じゃない」だけど、客を信用していないのかもしれず。
感動した、良かった、人生が変わったもあるかもしれないしねー。
私は10分で帰りたかったよ。大人の良識で踏みとどまったけれど。昔の私ならかえっていたなー。意外にガキの私が正しいかもしれないなー。

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2022年2月9日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃